ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSについてのお問い合わせ
【CM情報センター】CMの二次利用についてのお問い合わせ

現在、電話・FAXでの受付を停止しております。
詳細は、「CM情報センター」ホームページをご確認ください。

刊行物

TOP > 刊行物 > ACC会報「ACCtion!」 > 広告ロックンローラーズ

第三十四回 広告ロックンローラーズ
ゲスト:長沢 岳夫

箭内: 長沢さんとは、今日、初めましてで……。なんかモグリみたいで恐縮なんですけど。

長沢: いや、会ったこともないのに、よくあんなに書けるなあと。

箭内: 想像なんですよ、あれ。長沢さんが名だたるアートディレクターやフィルムディレクターの方々とどのように仕事をされてきたのか? 勝手に妄想をふくらませて書いたというか。
読者の方向けにご説明すると、今回『What is Copywriting? 長沢岳夫作品集』という書籍が刊行されるのと同時に展覧会も開催されて(2026年3月2日~7日)、僕が文章を書かせていただいたんですね。一連の企画を手がけた、かたちブックスーの鈴木光太郎さんからのお声がけで。
でも、何を書けばいいんだろう? と。長沢さんのコピーや存在は頭の中にありつつ面識もないですから。で、まずネットで検索したんですけど、ほとんど肉声が何も出てこない。まず、そのこと自体がすごく興味深くて。

長沢: 嫌われてるのかな?

箭内: いやいや、嫌われてるなんていう理由でああはならないんじゃないですか。あんなにたくさん名作があるのに、世に作品だけが残っててご本人の痕跡がほとんど出てこない。長沢さんって実在するのかな? って思ったくらい。それで、たぶん長沢さん、取材の依頼なんかは全部お断りしてきたんじゃないかと。

長沢: いや、断ってない。来ないんですよ。なんか避けられちゃって。

箭内: じゃあ、そういうタイミングがあればお話されることはやぶさかじゃなかった?

長沢: そうですよ。無愛想というか人見知りではあるけど、依頼されたときは断ったことないです。

箭内: それじゃ、僕の想像が外れちゃってることになる(笑)。作品集に「AFTER YOU」ってタイトルで書いたのは、自分の在り方、コピーのつくり方に対する確固たるポジションが長沢さんの中にあって、あえて自己言語化や自己神話化をしなかったのでは? という推察だったんですけど。

長沢: そこは本質を突いてます。確かにそういうところはある。

箭内: なるほど、取材を受ける、受けないの話ではなく?

長沢: うん、コピーを書くのはちょっと寂しいというか、孤独な立場でね。編集の合間にみんなでラッシュを見ていると、「あとは長沢さん次第ね」って。そのひと言が大きいんです。この映像の世界は何をやろうとしているのか? その答えを私が出さなくちゃしょうがないな……というふうに追いこまれるんですよね。

箭内: でも、それによってその作品の届き方や価値まで大きく変わる。そこを皆さん委ねてらっしゃったってことですよね? 確かに孤独な作業だと思いますけど。

長沢: インドだったり中国だったり、アートディレクターやフィルムディレクターは、みんないろんなところでロケしてきますよね。で、毎回とんでもないものを相手にさせられちゃうんですよ。
「ランボオ」(サントリーローヤル)なんかでも、なんでこんな仕事受けちゃったのかな? ってあとで後悔するんだけども、しょうがないですね。泥沼に入っていく感じだな(笑)。もう50年も前の話ですから、みんな忘れちゃったって感じでしたけど。

箭内: 半世紀前なんですね。

長沢: コピーライターになったのは26歳のとき、1969年ですから。

箭内: 長沢さんご自身の手記も読ませていただいたんですけど、昔の話という印象は全然受けませんでした。

長沢: 作品集をつくることで自分の中で当時が蘇っちゃったんですね。だから原稿もスイスイ書けた。蘇ることがちょっと楽しかったし、自分の中で整理し損なってたことが整理できてる感覚もあって。

箭内: サントリーの宣伝部の方とのやり取りとか、もうその場にいるような感じで書かれてますよね? あと、本の中ではクライアントの方が呼び捨てにされてたり。読んでて結構衝撃だったんですけど。

長沢: それは敬称略ってことでね。いや、いいスタッフがたくさんいましたし、いい会社でしたよ。

箭内: この連載は昔の懐かしい話に花が咲くみたいなことじゃなく、最近の話もうかがいたいんですけど、この作品集はいま必要なこと、という気もして。ご自身のコピーを振り返ってどう思われましたか。

長沢: そのとき納得したものはいま見ても納得しちゃう。でも、そうじゃないものは、いま見てもやっぱりダメですね。それはびっくりしました。

箭内: つい最近SNSで、若い人たちのあいだで「ランボオ」が話題になってるのを見たんですけど、名作は色褪せないだけでなく、いまの時代の価値観の中でも通用するというか、もしかしたら新しい生き方をしているんじゃないかとさえ思えてきて。

長沢: そうだったら、うれしいですね。

箭内: ランボオはどういう流れでできたんですか?

長沢: これはね、話せば長いんですけど、電通の仕事で。杉山恒太郎がローヤルのCM担当だった。で、戸田正寿と組んでサントリーの辰馬通夫さんにプレゼンしたんだけど、その案がノーをくらっちゃったんです。それで辰馬さんが「長沢に相談して再プレしろ」と。そのひと言で私が合流することになった。
辰馬さんからは注文がついてね。それまでローヤルはヘミングウェイの世界をなぞったCMをやっていて、もう一度、文学路線でやりたいと。それで選んだのがランボオだったわけ。
ただ、そのあとが難航したんです。まず絵が浮かんでこない。参考文献を読み漁ってコピーにトライしても1本も書けないし、杉山から企画も出てこない。そんなこんなで全然進まなかったのが、高杉治朗さんが演出を引き受けてくれることになって、ミーティングに来たんですよ。で、私の事務所でワイワイガヤガヤやってたら、どこかで「旅芸人」という言葉が聞こえた。私がそれをキャッチして「砂漠の旅芸人」と口にしたら事務所がシーンとなってね。まあ、そんな流れだったんですけど。