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箭内: それにしてもTUGBOATという仕組みを作った岡さんの発明力っていうか…。

 岡: 企画力って言ってよ(笑)。

箭内: いや、これは発明ですよ。なかったわけですから。ずっとこの4人で、メンバーチェンジもなく増えるでもなく減るでもなく。もうある種バンドみたいなものですよね?

 岡: 長寿バンドってあるもんね。「長くやってるな、この人たち」っていう。まあ、考えてみればそういうものを目指してるのかも。そう言われて初めて気づいたけど。

箭内: それにしても18年って長いですよね。昔、オレ、まだ博報堂にいたときに、TUGBOATが麻布のグラウンドで野球してるから見に来なよって言われて見に行ったことありますよ。で、自分から見に行ってるクセに「TUGBOATにあんまり尻尾振ったりしたくねえな」と思って、フェンスの後ろからこっそり見てたんですけど、30分くらいたって岡さんがオレに気づいて、「入ってこいよ!」って言った瞬間に、「はーい!」って走って行っちゃったんですよね(笑)。あのとき「あー、オレ、ダメだな」と。うれしくて尻尾振りまくってんじゃねえかと。

 岡: あったね、そういうこと。可笑しいよね、箭内が見に来てること自体が(笑)。

箭内: あとで反省しましたよね。もうちょっとゆっくり「えーっ? どうしようかな?」みたいな感じで行けばよかったと思って(笑)。いま野球やってないんですか。

 岡: みんな歳取っちゃってさ。野球って大変じゃない? 取って投げて走って打って。ストップ・アンド・ゴーがあるでしょ? あれが難しいよね。あのときは多田が野球に凝ってて、とにかく野球部だって言うんで、色んな人集めたりグラウンド確保したり。

箭内: 高木豊さんとか出てましたよね、試合に(笑)。

 岡: 六大学の三遊間がいたりで、もうわけがわかんない。で、クリーンナップはTUGBOATで打つんだけど、結局その前後で点取ってるんだから(笑)。

箭内: ところで、岡さんは広告の若手に関して何か思うことってあったりしますか。興味ないかもしれないけれど。


 岡: 興味ないことないですよ。
TUGBOATになって得たものは多いけど、失ったものもいくつかあって、その中の最大のものは後輩なんですよ。僕なんて麻生より下の人たちとは接点すらなくて。でも本当は20代とか30代の若いプランナーを育ててみたいという本能的な欲求みたいなものはあるというか。

箭内: 自分の遺伝子を残したいっていうことなんですかね?

 岡: どうなんだろう? でも、その機会がないのは寂しいじゃないですか。これ、解決のしようがないんだけど。TUGBOATに入れるわけにはいかないし、スクールで講師をやるっていうこととも違うしね。そういうことじゃなく、そいつが毎日横にいてだんだんうまくなっていくのを見たいんだけど、そういうことってもうないですから。

箭内: 育てられる側から言うと、年がら年中、岡さんのチャーミングな面も含め案の通し方とか、会議のどのタイミングで何を言うかみたいなものを見るのが一番の勉強で、小田桐さんの時代から脈々と続いてきた電通の人材輩出の流れだと思うんですけど、そこが途絶えてるというか、子孫がいない感じはしますよね。クリエイティブ的には独身のままの4人っていうか。

 岡: ありますよね、それは。「じゃ、育てればいいじゃない?」ってことかもしれないけど、それをやるとなんか変わっちゃう気がするんですよね、この4人のバンドの音質みたいなものが。

箭内: すごく贅沢なバンドですね(笑)。

 岡: まあ、もともと歳も離れてるし、仲がいい4人じゃないんですよね。ただそこにいたっていうことと、お互いの能力を評価していたってことはあると思うけど、休日に一緒にバーベキューに行くなんてことはないわけですよ(笑)。だいたいみんなの奥さんの顔も知らないくらいで。プライベートなベースで親しいわけじゃ全然なくて、かえってそれが良かったのかもね。仲のいい4人だったら喧嘩することもあるんだろうけど、そうじゃないから揉めようもないっていうか。

箭内: ほかの3人を叱るってこともあったんですか。

 岡: 叱るっていうか…叱られたことはあるけどね(笑)。私服でしょっちゅう行ってたら、「岡さんは私服禁止」だと。あなたの私服はTUGBOATのブランドイメージを損なうと(笑)。ファッションセンスがないってことだと思うんですけど、だれに言われたのかな? 川口かな? きっと3人の意見なんでしょう。「あれ、どう思う?」みたいなことみんなで言ってたんだろうね(笑)。

箭内: でも、麻生君は育ちましたよね。一番年下で若者みたいに見えてたけど、もはやベテランですから。

 岡: それはうれしいですね。麻生がどうなるかでたぶんTUGBOATは決まったんだと思う。でも、麻生も僕が育てたわけではなく、彼の能力と覚悟ですよね。一番覚悟が必要だったのは麻生だったと思うんですよ。あのタイミングで辞めるなんて度胸あるよね。麻生を説得しながら、「オレだったら辞めないな」と思ってましたから。で、「すごいな麻生、ほんとに辞めちゃうんだ」と(笑)。そのとき、こいつはやっぱりモノになるんだろうなと思いましたけど。
だから麻生は育ててないんです、僕は。もちろん多田も育ててないけど。ようは育つ環境を作ればいいんですよ。その意味では、実際にはプランナーを育てるなんてことは出来ないのかもしれない。みんなそれぞれの場所があるんだから。

箭内: CMプランナーとしての岡さんの場所ってどのへんだと思われますか?

 岡: 多田や麻生ともまた違って、僕の場合は極めて個人的なことから発想するタイプなんですけど、それは「僕自身が平凡だ」ってことに由来するんですよ。つまり僕が個人的に感じたことは、たぶん多くの人が感じてることなんです。凡庸な人間というのは、個人的な悩みから出発しても、多くの人がその時代に共感できる何かだったりする。だから僕は、自分の内側で企画をいじっていけば、それは割と色んな人に伝わるだろうと思ったんです。
「なんでそう思ったか?」と言うと、クリエイティブに移ったとき、佐藤雅彦さんの隣の席で、主に佐藤さんの電話番してたんですよ。まだ仕事がなかったんで。で、佐藤さんにかかってくる電話を取って、メモして机に貼るっていうことを毎日やりながら、しみじみ「自分はどうやればこのクリエイティブの世界で生き延びれるのかな?」って考えたんだけど、ああいう天才みたいな人と「自分は何が違うんだろう?」と思ったときに、決定的に違うのは僕は凡庸だってことですよね。
だけど、凡庸であればあるほど自分のことを見つめていけば、それはみんなとどこかでつながっていくんじゃないかと。つまり、どんな商品も個人的なことから始めれば何かは出せると思ってる。広告の職人として食っていくために、そこの技術を高めていくしかなかったのね。僕は箭内みたいに楽器もできないし、絵も描けないですから。

箭内: でも、それってすごい才能だし、自分で自分は凡庸だって言える人はなかなかいないですよ。

 岡: そうかもね、こういう仕事の場合は特に。まあ、僕はとにかく平凡ですよ。で、平凡な人が企画ができないかって言ったらそんなことはないわけで、平凡な人しか気づかないことがあって、平凡なやつしかできない企画がたくさんある。それは間違いない。

箭内: 言われてみると、そっちに行く人っていないですよね。みんな自分にできないことを一生懸命覚えようとしているというか。

 岡: 確かにそうやって作ってる若手もあまり見ないね。でも、それが時代に合ってるときと合ってないときもあるから。

箭内: だけど、広告の世界として、若くて新しいものを作る人が待望されてはいますよね。広告がキラキラした仕事でいてほしいじゃないですか。

 岡: ほんとそうですよね。だけど、きっと矛盾してるんだけど、広告が80年代みたいに若い才能がどんどん出てくる業界だったら、たぶんTUGBOATはもうないと思う。これはある種の停滞なんですよ。業界としての。だっておかしいよ、18年間ももつのは。

箭内: 昔、大貫卓也さんが広告クリエイターが世の中に求められる賞味期限は本当は5年なはずなんだけどと言ってるのを聞いたことがあるんですけど、そういう意味では停滞ですよね。

 岡: 川崎徹さんもね、「コマーシャルは40歳までだよ」って言ってて、本当に41歳のときに辞めちゃったんですよね。その言葉は自分の中にずっと残ってはいるんだけど、かと言って辞めてほかにやることもないからね。

箭内: ちなみに岡さんって、いまどれくらい自分で企画してるんですか。

 岡: 年に2本くらいかな。あまりチャンスはないけど、僕がプランナーとして打席に立たないといけないときもあって、そういうときはちょっとうれしいんだけどさ。やってもいいんだなって(笑)。
やっぱりプランナーのほうが楽しいんですよ、CDとどっちが面白いかって言うと。プランナーの方がピュアじゃないですか? 僕はCDも兼ねてるからそこまでピュアってわけにはいかないんだけど、純粋に「どうしたらもっと良くなるだろう?」って考えることが仕事だから。
ただ、プランナー疲れるよね。こないだ久しぶりに3泊4日のロケして、ほんと死ぬかと思った。ほとんど寝られないし、監督は中島哲也だしさ。終わってから中島に「オレたち、こんなのもう無理だよ」なんて言ったんだけど(笑)。

text:河尻 亨一  photo:広川 智基

箭内道彦(やない・みちひこ)

1964年生まれ。52歳。
東京藝術大学卒業。1990年博報堂入社。
2003年5月独立し、風とロックを設立。現在に至る。2011年の紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストでもある。
「月刊 風とロック」(定価0円)発行人。
NHK Eテレ「福島をずっと見ているTV」レギュラー。「風とロック」(TOKYO FM、JFN各局)、2015年3月、福島県立ふたば未来学園の、谷川俊太郎作詞による校歌を作曲。2015年4月、福島県クリエイティブディレクターに就任。2016年「渋谷のラジオ」開局、理事長を務める。

岡康道(おか・やすみち)

1956年佐賀県に生まれ東京に育つ。
早稲田大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。
CMプランナーとしてJR東日本、サントリーなど時代を代表するキャンペーンを多く手がける。97年、JAAAクリエイター・オブ・ザ・イヤー受賞。99年、日本初のクリエイティブ・エージェンシーTUGBOATを設立。
NTTドコモ、TOYOTA、ダイワハウス、サントリーなどのCMを手がける。ACCグランプリ、TCC最高賞ほか多数受賞。共著に『ブランド』『CM』『人生2割がちょうどいい』『勝率2割の仕事論』。エッセイ集『アイデアの直前』、小説『夏の果て』などがある。