6年半の営業部時代に培ったマインド
博報堂から内定をもらえたのはよかったのですが、クリエイティブに行きたかったのに、営業局に配属されました。6年半営業局に在籍したのですが、その後社内試験を受けクリエイティブに異動しました。
―営業局にいたときは、どういったモチベーションだったんですか?
会社に何かしらアピールしなければと思い、会議では自分も企画を出していました。下っ端営業が企画を出すのは難しいところもあったのですが、みなさん優しかったですよ。
そして、社外の賞に応募もしていました。『宣伝会議賞』はゴールドを獲れて、これでクリエイティブに行ける!と思ったのですが最初の配置転換は営業局だったんですよね……。次に、『販促会議 企画コンペティション』でグランプリをいただけました。これでようやくクリエイティブへの異動が叶いました。
―営業時代のことが今のクリエイティブ業に活きている、つながっているということはありますか?
「誰からお金が出ているのか?」という意識がすごく高いです。そのせいか、 “とんでもない作品”をつくりたいというより、困っているところを助けたいと考える。それは、長年営業をやっていたからこそのマインドかと思います。
自主プレゼンをするときも、「このクリエイティブのよさ」より「どんな効果があって、どうあなたを救うか」を伝えるように心がけています。
逆境は「レアケース」
いつもとは違う表現のできる絶好のチャンス
―『金龍のしっぽ Project』は確実にターニングポイントかと思いますが、その前にもそういった仕事はありましたか?
海遊館の『サンゴショーウィンドウ』です。その頃、海遊館の「グレート・バリア・リーフ水槽」がリニューアル工事のため一時閉鎖されるというトピックがありました。この機会だからこそ発信できることがないか、海遊館さんから相談があり実施した企画なのですが、空の水槽内に海洋プラスチックなどでつくられたファッションアイテムを展示し、海洋保全のPRにつなげました。「その時の状況を活かしたアイデアでブランドアクションを行なう」という、成功体験になりました。
同じく「グレート・バリア・リーフ水槽」で行なった『工事中の閉鎖水槽をメディアに「BLUE SEAT」』も、その時々の状況を活用し好機に転じさせた企画。『金龍のしっぽ Project』もそうです。
こういうことをしたいのだと、自分の中でも実感しました。
―そこをベースにすると企画が跳ねて話題になるから? それとも、クライアントが喜ぶから?
ベースには、困っている状況を助けたいという営業マインドがあります。
2つ目に、自分の介入でマイナスがプラスになるというのは、強く存在意義を感じられるんですよね。もし介入しなければ、違う世界になっていた。それは、大げさに言えば未来を変えられたことになります。
3つ目は、「逆境」や「ピンチ」というネガティブな状態は、「レアケース」だということ。いつもとは違う表現ができるチャンスだと捉えています。
例えば『サンゴショーウィンドウ』では、水と生物が抜かれて水槽が空っぽになるという、これ以上ないレアな状況でした。そこを利用して、「マネキンを入れる」という普段はできない表現に挑戦しました。
カメラが向くところに首を突っ込む
情報の価値が上がる切り口を見つける
―第58回「やってみなはれ佐治敬三賞」を受賞された際に、「時代を象徴する瞬間にアイデアを添えるジャーナリスティックな切り口」という審査講評がありました。
嬉しくて何回も読ませていただきました。
そもそも、話題をYahoo!ニュースのトップ記事で見つけようとしているんですよね。ゼロからものをつくるより、困っている誰かがいて、社会がその解決を望んでいる――そういった場所に飛び込んでいくことが、結果として大きな反響につながると信じているんです。
―報道のカメラが向いているところに、プレイヤーとして飛び込んでいく。
「金龍のしっぽ」に関しては、本当にそうです。
また海遊館の例でいうと、海洋保全という社会課題と紐づけることで情報の価値を上げました。僕は広島出身なので、ずっと海を見ながら育ってきた。原爆ドームも常にそばにあり、何かを保全するという意識は根底にあるかもしれません。
―ちなみに、自主プレゼン以外にも通常の広告案件もされているんですよね。
どちらも大切にしています。賞を狙うようなクリエイティブも刺激的ですが、まずはビジネスの基盤を支える案件にしっかり貢献したい。そうして「やるべき仕事」を突き詰めた先に、自分自身も心から「やりたい」と思える瞬間を持てることが理想です。そのためにも、アイデアを諦めることなく粘るようにしています。


