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箭内: さきほど副田さんから「広告とは?」といった話も出ましたけど、なんでしょうね? 広告の業界、順風満帆ではなくて、いろんなことがあります。でも、明るい話をしたいなと思うし、G8とは言ったものの、みなさん“爺”っていうほどおじいさんじゃないというか。若々しいこの方々の呼吸を感じて帰るだけでも、すごいご利益がありそうです。で、二巡目ということで、秋山さんにまた戻ってきますけど、いかがですか?

秋山: 明るい話で言うと、コピーを書けば明るくなります。コピーというのはやっぱり体験であったりイメージであったり、そういうものを書くわけですから。それを書いてると、そのときの空気感や外の音、日差しの匂いなど、まざまざといまを感じるんです。たぶん画家も同じだと思うんですよね。だからやっぱりコピーを書くといいんじゃないかなと思います。

箭内: 秋山さんが以前、前向きなコピーを書くために、部屋を真っ暗にして書いたんだっていうお話をしてくださいましたよね。暗闇の中にいると光を探して逆に前向きな気持ちになれるとおっしゃってたのがすごく印象的だったんですけど。

秋山: 広告はものから作るものじゃないと思うんです。自分の頭の中にあるもので作るものだと思う。そうすると、やっぱり一切の情報を止めたほうがいい。暗くなると、視覚的な情報が完全に止まって集中力が出ますね。そうするとディテールが浮かんでくるんです。それが言葉になったりします。
「その先の日本へ。」(JR東日本)のように大きなことで考えるコピーもあるんですけど、本当にコミュニケーションできる言葉は、小さなことじゃないかと思う。「きれいな人が、本を読んでいた。」とか。暗闇の中でしばらくたつと、なんて言うかな? 本当の記憶みたいなものが出てきますから、それをコピーにすればいい。
そんなにたくさんオンエアされていないもので言うと、「ドライマティーニを二杯飲んでいるうちに、街は雪になった」とかね(サントリー・ドライジン)。これはウディ・アレンの「マンハッタン」という映画を、最初から最後まで頭の中で再生しながら書いたものなんですけど、僕の記憶の中ではセントラルパークに雪が降ったような気がしたんですね。マリエル・ヘミングウェイが部屋に入ってくるシーンで、まつ毛に雪が付いていたと思いました。あと、そのときいたホテルで、夕方ドライマティーニを二杯飲んでるんです。そういうイメージや体験を組み合わせて、あのコピーができました。

箭内: 大島さん、お酒の話がいまちょうど出ましたけど。

大島: まず理解していただきたいのは、オレいつも秋山さんのすぐ後で答えなきゃいけないという(笑)。まあ、とにかくカッコいいですよ、秋山さん。大好きなんだけど。でも、全然違うんですね、僕とは。秋山さん、ディテールに宿らせてくるじゃないですか。
だからいまでもオレ、秋山さんの昔のコピー見るの好き。オレも毎晩、マティーニ飲んでたし、本当にうまいの(笑)。でも、一緒に仕事するときはまた別でね。秋山さんの言う通りだよなと思いながら、ディテールの前にもうちょっと何かあるんじゃない? ってずっと思ってたんですよね。つまり「その先の日本へ。」みたいな大きいコピーがあるから、きれいな人が本を読んでるっていうコピーも生きてくる。そこはね、オレみたいな電通、いわゆる代理店の広告屋さんと秋山さんとの違いなんです。
ただ、似てるところもある。広告って常にいろんな時代に寄り添っていきますよね。僕がこの仕事でよかったなと思うのは、いろんな時代を見て来れたということ。広告作りをリードするのは、一貫してその時代のイメージなんですよね。だから僕らは“イメージの子”であって、想像力をどういうふうに働かせて、その時代にうまくマッチさせられるかが、広告のクリエイティブじゃないかなと。
でも、もう一人タイプの違う人がオレの隣にいて、それは小田桐さんなんですよ。小田桐さんも元電通の広告屋なのに、そこのところもう少しロマンチックなの。だから、この問題は次に小田桐さんに聞くのがいいと思うよ(笑)。

箭内: 小田桐さんがロマンチックって、すごくわかる気がします。

小田桐:いや、自分でそう思ったことは全然ないですね(笑)。秋山さんや大島のコピーって、いつも羨ましく思ってます。なんでしょう? 僕の場合、問題に反応しているだけで、イメージってあんまりないんです。すごくリアルですからね。目の前の問題を表現で解決していくのがすごく面白くて、いま83になってしまいましたけど、そんな気持ちは全然なく、どこか歳を取ってない感じがするくらいです。だから「広告ってなんだ?」って言われると、僕にとってはまず面白い仕事だと思います。何かを作るということ、表現に関わることが、自分ではとても幸せだなって思っています。
で、広告というのは時代を反映した表現物だというふうに言われていますが、僕は時代もあんまり関係ないんです。いつもそのときどきの人間が、何を考えているのだろう? ということにすごく興味があって、それが面白いんですね。
さっき副田さんもちょっとおっしゃってましたが、広告というのはやはり文化だというふうに思います。こんな時代ですから、広告を文化と言うのはちょっと恥ずかしいのですが、ここに並んでいる人たちのある時代は、新しい風をいっぱいに受けて颯爽と仕事をしていたな、というふうに思います。いまの皆さんがそういう仕事をしていないというわけではないんですけど、若い人たちは広告はビジネスとして割り切れと言われ、広告はつらい仕事だと言う人もいて、表現の環境としてはあまり良くない、というふうに思います。

箭内: 葛西さんはいかがですか?

葛西: 今日の3つの質問はあまりに直球の質問ですから、僕も小田桐さんと同じように昨日の夜はちょっと眠れないような感覚だったんですけどね。ひとつ目の「広告とは?」に関しては、2つの言葉が思い浮かんで、ひとつは「うるおい」なんです。それは広告というよりも、デザインをする意味としてかもしれないけど、素直に考えて、世の中にもし広告がなかったら、そんな寂しい世の中はないだろうなっていうふうに思います。
じゃあ、僕らにできることは何かと思うと、出来れば潤滑油というか世の中のうるおいでありたいですよね。もちろん、広告というのは自慢話でもあるし、何かを買ってください、見てくださいという仕事ですから、そう簡単にはいかないなとは思ってるんですけど。
そこで、もうひとつ浮かんできたのが「抵抗」という言葉。新しい仕事が来て、何か考えなきゃいけないときに、常識や通例を解答とすることに僕は疑問を持っていて、何らか抵抗するぞっていう気持ちがあるような気もするんです。「そうかな?」「いや違うんじゃないか」っていう思いが脳裏のどこかにいつも蠢いていて、毎回かなり苦しむんですけど、それも広告であったりデザインには必要なことなんじゃないかと思っています。
ただ、日頃からそんな立派なことを考えているのではなく、普段は目の前にある問題、つまり色はどうする? といったことや、言葉はどこに置こうかとか、これは大きく言うべきか小さく言うべきかーーといった細部のことを考えているときが一番楽しいですよね。だから自分はやっぱりこの仕事でよかったなと思います。そういうことをずっとやっているうちに、気づいたら73にもなっていたという。そこは小田桐さんと同じで、年齢を意識したことはないんですね。