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箭内: さっきちょっとおっしゃってたデジタルメイクのお話もうかがっていいですか。ふつうだったら、若くてリアルタイムな世代が、新しい技術を会得してそれぞれの分野の歴史を塗り替えていくものだと思うんですけど、江川さんは技術面でも新しいものを生み出し続けていますよね。

江川: デジタル化はきっかけがあって、何かと言うとライフマスクの型取りなんですよ。歯形を取るときと同じ材料をペタペタ顔の周りに塗りこめて、顔型を取るという特殊メイクの基本があるんですけど、実は私、その作業が長いこと好きじゃなくて。役者さんのほうでも閉所恐怖症だったりすると、顔を覆われるだけで「もうだめ!」とか、それが嫌だから特殊メイクはしたくないという人さえいたくらいで。

で、あるとき「トータル・リコール」(1990年)っていう映画を見たんです。あの中にスキャニングでシュシュっと顔ができるシーンがあるんですけど、そのとき「これだ!」 と。その技術が特殊メイクにつながる日が絶対来るだろうってずっと思ってました。

それ以来、早くスキャニングで顔型を取りたいっていう希望を持ち続けて、10年前くらいですかね。ハンディスキャナと3Dプリンタが高性能化して、手が届く値段になったときに導入したんですけど。いまはもう、型取りと言えばスキャニングっていうのが当たり前になりましたね。

箭内: そんなに早くから、スキャンを取り入れてるんですね?

江川: デジタル化の波が来るというのは、かなり前から強く感じてましたから。その技術の延長で、最近では現場でメイクを直すこともできるようになってきました。特殊メイクって、役者さんによっては激しい動きだったり、汗かきさんだったりすると崩れやすいんです。崩れたときにちょっとした時間で直せる場合もあれば、結構時間がかかる場合もあって、撮影後にCGさんが画像加工して修正することもあります。

でも、メイクの完成度はできる限り最後まで自分で責任を持ちたいし、見届けたいという欲求もあってやり始めたら、そこの部分ってCGさんにしても大変な作業だったみたいで、「やれるんだったらお願いします」という感じで、徐々に広がり始めている状況です。いまはAIも導入して、役者さんの若い頃の顔を取りこんで若づくりメイクをするとか、色んな方法を試すのが楽しいので、まだまだ続けるしかないみたいな気持ちですね。

箭内: 日本における特殊メイクの真の第一人者っていうんでしょうか。いまお話うかがっていて、そんな印象も持ちました。最初に始めたってことだけではなく、一番最新のことにも取り組まれているという意味で。若者にも負けない江川さんの原動力ってなんですかね?

江川: なんでしょう? やっぱり好奇心ですかね。「できるのならやってみたい」といった。ちょっとやれそうってなるとほっとけなくて、つい手を出したがるところはありますね。気をつけないといけないんでしょうけど。

箭内: それは子供の頃からですか?

江川: いや、アメリカに渡ってからです。あそこでちょっと生まれ変わったというか。それまでは本当におとなしい子で、活発ではあるけれど積極的に出ていくタイプではなかったんです。両親が教師だったこともあって、いい子でいなきゃいけないみたいなプレッシャーもあり、結構レールの上をおとなしく歩くような感じで。

ロサンゼルスには夫の仕事の関係で行ったんですけど、向こうに行ってから明らかに変わりました。最初、初歩的な英会話のスクールというか、サークルみたいなところに通っていて、周りの人たちがすごくしゃべるんですよね。メキシコだったりヨーロッパだったり、色んな国から来てたんですけど「こんなに話せるなら、通う必要ないのに」って思ったくらい。

でも、しばらくして耳が慣れてくると、「あ、すっごいブロークンイングリッシュだったんだ」っていうことがわかってきて。なんだろう? あのなりふり構わないパワーを感じると、こっちもカッコつけてる場合じゃないよなと。目から鱗っていうんでしょうか。その頃から積極性がすごく出てきたなって、自分では分析してますけど。

箭内: そのあと、特殊メイクの世界に惹かれてハリウッドの学校に通われたんですね。でも、好奇心に抗わず、突き進んでいるように見えるのはカッコいいなあって思います。

江川: だんだんと世の中変わってきて、いまの若い人たちはあんまり海外に出たがらないって言いますね。でも、やっぱり私は外に出たことで日本の見方が変わったし、すごくいい刺激を受けて、自分が生まれ変わったかのような気持ちになれましたから、できれば海外で色々経験もしてもらいたいなって思うんです。考え方も世界の見方も変わりますから。

箭内: 渡米される前は「装苑」の編集部にいらしたんですよね?

江川: そうなんです。1970年代ぐらいの話で、もう大昔になりましたけど。そんなにファッショナブルでもなく、地味でしたからよく通ったと思いますね。同期で入った人なんかは素晴らしくファッショナブルで、徐々にその人から感化もされましたけど、自分にはファッションは難しいっていう思いは持ち続けてましたから、「装苑」に入ってちょうど3年たった頃に夫の転勤で見切りがつけられたのは、私的にはよかったなという感じですね。

箭内: でも、大きな意味では、特殊メイクもファッションじゃないですか? 自分の顔という“コスチューム”というのか。

江川: あ、そうですね、そう言われればそうかもしれない。そう言えば当時、雑誌の後ろのほうのちっちゃなページに、ものづくりのコーナーっていうのがあって、いずれそこを担当させてもらいたいって思ってたんです。巨大なバースデーケーキをウレタンと布地でつくったり、バナナの形の寝袋みたいものをつくったり、発想豊かなページで大好きでした。で、そこを是非やりたいって思ってるうちに、やれないまま渡米しましたから、その代わりがいまなのかなって思います。根っこはその辺にあったんだろうと。