精神回帰の「ビューティフル」
中 島:「ビューティフル」はすごかったですよ。ちょうど大阪万博の時で当時私は小学校6年生だったんですが、地元でしょ。外人はたくさん来るは、テレビからもこういうものが出て来るは、なんか開国したみたいで(笑)。
「ディスカバー・ジャパン」もこのへんにあったような気がするんですが…。 小田桐 もう少し後ですね。このビューティフルの前に「オー・モーレツ」があり、これが万博を迎える日本のひとつのピークだったんですね。その万博から少し後に、こんなモーレツに働いてばかりいていいのだろうか、という問いかけが出て、「モーレツ」から「ビューティフル」に移ったんですね。
ここからテレビCMのテーマが「いかに生きるか」に変わっていったんです。むしろ精神的なところに帰って行く曲がり角ですね。それまでは商品やその商品を得ていかに豊かな暮らしができるかと言い続け、そのためにみんな一生懸命働いてお金を儲けて、という感じでした。そのピークがまさに万博だったわけです。このCMは古川英昭と橋本日出世。
「ディスカバー・ジャパン」のテーマは「ディスカバー・マイセルフ」で、自分をもう一回探す旅に出ようというものでしたね。僕はこのキャンペーンでCDをやりましたが、これも電通の藤岡和賀夫の仕事でこの二つは彼の代表的な仕事です。
このへんから広告の作り方が変わり、エージェンシーがそれなりの役割を果たし始めました。杉山登志の自殺(昭和48年)と日天の崩壊といった時期でもありました。
中 島: この頃からカラーのすごいフィルムが目白押しに出始めましたよね。テレビ自体が「ゲバゲバ」の時代で、かなりナンセンスなものがありました。
「あんた松下さん」なんかよく覚えています。でもいま見ると最後のところは違うセリフだったんですね。リップが合ってませんから…。
小田桐:あれはアドリブで出てきたんですか?
司 会:ラッシュ試写の時、内池君のオマケについていたセリフです。
小田桐:この頃から松下のCMはひと皮むけましたね。それまでは竹馬実さんが、松下の広告を全国レベルにしようと一生懸命努力されてましたが、そのうえに、鹿島研二さん、柴田麻三也さんらが新しいものを乗っけました。いってみれば、すごいきっかけのCMですよね。東北新社にとっても画期的なCMでしたよね。
中 島:そうですね。質の高いもの、おもしろいもの、というのは他にもたくさんあるんですが、これだけ世の中を動かし、浸透していったという意味では、これが一番でしょうね。
「サッポロビール」は秋山さんですよね。
小田桐:はい、秋山晶と電通の今村昭。やっぱりすごいです。あとは大林宣彦ですね。この人はこのリストにはあまり出てこないですが、当時は「CMの黒沢明」でした。周囲からは山口百恵などのタレントを使う人と見られてましたが、じつはフィルムを使う技術者としては最高のレベルでした。機能一点張りのCMの世界に独自な映像を持ち込んで、日本のCMの表現の幅を広げた人でもあります。
「エメロン」は岩本力さんです。ドキュメンタリータッチですごいです。
中 島:歌がすごくうまい。社会全体を使って、広告を社会現象にしましたよね。
小田桐:広告に仕掛けみたいのが入ってきたんですよ。素人が参加して。あの恥ずかしさなんてうまくできてます。とても演出ではできません。歌は小林亜星さんです。レナウンもそうですが、やはりメロディーメーカーとしての小林亜星さんってすごいですね。それから、音楽で忘れてならないのは桜井順さん。杉山登志の仕事を支えていたのは、実は順サンだったということはよくわかるでしょう!

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