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バイオアーティスト
福原志保

ヴォーカロイドの初音ミクの遺伝子と細胞を生成し、人工心臓を金沢21世紀美術館で展示するなど、バイオの領域から発表した作品が物議を醸すアーティストの福原志保さん。そのきっかけは「みんなが話すことやその価値観の違いなどに子どもの頃から興味があって、語学を勉強するのが好きだった」ために、高校を卒業して語学留学でヨーロッパに向かったことだった。語学学校の隣のアート学校に興味を持ち、作品を通して社会とコミュニケーションをとるアーティスト活動にどっぷりとハマった。以来、様々なプロジェクトで不可能に挑み、社会に問いを投げかけている。長期的にものを見て開発に携わるクリエイティブな仕事において、企業にもアーティストが必要だというコンセプトを掲げ、Googleの正社員として自らも実践している。

故人の遺伝子でできた木

―ロンドンでアートとインタラクション・デザインを学びながら、バイオの領域に興味を持ったきっかけを教えてください。

 大学院の授業で、バイオテクノロジーが発展すると色々なサービスや商品ができるだろうから、デザイナーの視点からそれについて考えなさいという課題がありました。遺伝子の解析や組み替えといったテクノロジーはコンピューターの発達と結びついているので、2001年当時、バイオテクノロジーが進歩することは明らかでした。そこにアートやデザインの視点からどう関わるか、ということがとても刺激的だと思えたんです。

BCL「Biopresence」

―ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの卒業制作として発表した、バイオプレゼンスのプロジェクトが注目されました。

 家族が亡くなったときに、故人のDNAを保存した木をお墓の代わりに自分の家の庭に植えたら、亡くなった後でもお墓よりももっと身近な形で一緒に存在していけるのではないかと考えたことからスタートしました。実際に遺伝子組換えの技術で、木の遺伝子内に人のDNAを埋め込むことが技術的にできるのはわかったのですが、法律による規制があるので遺伝子組換えの植物や動物はラボから出すことができない。卒業作品として展示ができないので、卒業するためにどうするかを考えました。
 まず技術的セオリーは専門家にインタビューを行い、可能であることを確認したものなので、特許を取ろうと思ったら、コンセプトに特許は取れないとなりました。そこで教授からいただいたのが、日付の書かれたメディアに出すことでアイデアを守るという案です。大学のプレスオフィスに教授が声をかけてくれて、まずBBCラジオが報じてくれて、新聞でも記事になり、テレビ番組でも扱ってもらえることになりました。

バイオへの興味と社会性

―故人のDNAを木遺伝子の中に保存するというプロジェクトから、社会とアーティストのコミュニケーションに発想が展開したんですね。

 記事になったことで、メールや手紙が大学院に多く届いたんです。アツい方が結構いて、会いに来たいという声もありました。一人はおばあさんで、イギリスには昔から樹木葬があって、木の下に遺体を埋葬する文化があったんですが、そのおばあさんは「木の中に入れるんだと考えたら、急に死ぬのが怖くなくなったから、あなたのプロジェクトを気持ちでサポートし続けたい」と直接伝えに来てくれました。もちろん「けしからん!」と、怒りながら会場に乗り込んで私を探しに来た人もいましたが、うまく逃げることができました(笑)。

 卒業展ではこのプロジェクトに集まった手紙を展示させてもらったのですが、そのおばあさんを始め、作品から私以上に想像力を働かせる人が大勢いることがわかったので、そういう方たちにも応えられるように、会社を作ろうと考えたんです。故人のDNAを保存した木をラボから外に出すことは、すぐにできないけど、その概念を提案する会社として形にするという発想です。20世紀後半にアートの概念を拡張したドイツのヨーゼフ・ボイスによる社会彫刻(人間の創造性や発想力が未来の社会を形作っていく、という考え)を引用して、会社を作ることで物体化していない概念を存在させようとしたのです。

―実際にロンドンを拠点に、バイオプレゼンス社という会社を起業されました。

 NESTA(英国国立科学・技術・芸術基金)という財団があって、イギリスの大学院を卒業した人を対象に、銀行ではお金を貸してくれないような異端なコンセプトでも、コンペに通れば会社のビジネスが成立するまでの資金を国が手助けしてくれることがわかりました。ダメモトでビジネスプランを提出したら、まさか通ってしまって、数100万の出資金を得ることができたんです。当時のイギリスでは、デザイナーやアーティストがバイオテクノロジーを使ってクリエイティブな表現を行うことが少なかったので、それを誘発する企画だと判断されたようです。
 実際にバイオプレゼンス Ltd. としてイギリスで登記をして、税金も払い続けていました。植樹を請け負って収益を上げることはできていませんから、その税金も作品の維持費みたいなものですね。ただ、もう10年ほど前にロンドンを離れ、これからもいつ戻るのかもわからないので、一旦税金を払うのをやめてバイオプレゼンス社は凍結させてあります。代わりに、パートナーのゲオアグ・トレメルたちと、BCLというプロジェクトベースで自由に誰でも出入りできる集団のようなものを組んで制作しています。ただ、バイオプレゼンスは私の考え方の原点のようなものですし、ライフワークと考えているので、時期を見て再開することになると思います。

日本の法令の緩さと独自の死生観

―次に取り組んだのが、青いカーネーションを用いたプロジェクトですね。

BCL「Common Flowers / Flower Commons」

 IAMASという学校のアーティスト・イン・レジデンスに招聘されて、久しぶりに日本に戻ってきたとき、テレビのワイドショーで「バイオジャパン」というイベントの紹介がされていたんですね。「遺伝子組換えで産んだ青いバラを展示します」と言われていたので、「えっ!?」となったんです。そもそも「blue rose」って、英語で「不可能」を意味する言葉だったんですね。バラは青色系色素を持たないために、どんなに交配を重ねても作れない園芸家の夢のようなものでした。
 イギリスで遺伝子組換えの植物をラボの外に出すとわかったら、大騒ぎになることは間違いないのに、日本では普通にお昼のワイドショーで放送している。そこで最初の疑問が生まれて、調べていくと日本では例えば、納豆にも「遺伝子組換えの大豆ではありません」と書かれていますけど、じつは使用している遺伝子組換え大豆の混入率が総重量の5%以下であれば、「遺伝子組換えでない」と任意表示していいというルールになっているそうなんですね。ヨーロッパだとその基準が0.01%以内とか。「入っていない」と言い切れるのはどうかと思いますが、日本の500分の1ですから。それだけ日本はバイオの分野で規制が緩いんです。

―バイオを扱うアーティストにとって日本とは、色々なことを試せる国だということですね。

 すごく厳しいようでいて、法令のあやふやさのようなものがあるんですよね。そこを突くとオリジナリティあふれるおもしろいことができる。それは日本ならではかもしれません。
 青いカーネーションはすでに商品化されて、園芸店で販売していたので、私は自宅で勝手にクローニングし、根を生やさせることで自生できるようにしたんです。遺伝子組換えされた青いカーネーションを道路にどんどん植えて、道端にタンポポが咲くみたいな景色にできないかと考えたんです。

―法令のあやふやさへの疑問から、死生観や倫理観なども絡む壮大な問題に関わるプロジェクトへと作品が展開しました。

 遺伝子組換えから生まれた青いカーネーションが企業の商品になっていることも不思議ですし、そもそも遺伝子、命、生物というのは誰のものなのかというのもわかりません。法令だけに限らず、グレーゾーンが本当に多いんです。そこを突きたいと思って手がけたのが、その青いカーネーションの根を増やして自家増殖させる《Common Flowers / Flower Commons》と、リバースエンジニアリングの技術で青から白に戻すことに挑む《Common Flowers / White Out》です。
 前者の大きなきっかけは、種苗法という法律です。例えば、買ってきた木の枝を切って、それを水に浸けておくと自然と根が生えてくるので、増殖させることができます。そういうのは、園芸を楽しむおじいちゃんとかおばあちゃんは何の罪の意識もなくやっていると思うんですが、種苗法で禁じられているんです。改良を重ねてその品種を作った人の権利を守る、言ってみたら著作権法と同じような法律です。
 考えとしてわからなくはないですが、根本的に植物のある品種を企業や人が独占できることがいいことなのかというと、どうなんだろうかと疑問が生まれますよね。