ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSについてのお問い合わせ
【CM情報センター】CMの二次利用についてのお問い合わせ

現在、電話・FAXでの受付を停止しております。
詳細は、「CM情報センター」ホームページをご確認ください。

刊行物

TOP > 刊行物 > ACC会報「ACCtion!」 > コンテンツの冒険


東京大学大学院総合文化研究科 教授
物理学者・メディアアーティスト
池上高志

第20回文科省メディア芸術祭アート部門 優秀賞に選ばれた『機械人間オルタ』が話題になっている。
制作したのは大阪大学石黒浩教授と東京大学大学院池上高志教授の研究室。なぜ科学者がメディアアートを行うのか。人工生命を研究する物理学者であり、アートとサイエンスの領域をつなぐメディアアーティストでもある池上教授に、シンギュラリティと人間の未来について聴いてみました。

『機械人間オルタ』『Alter』制作チーム(代表:石黒 浩/池上 高志)
第20回文科省メディア芸術祭アート部門 優秀賞

『機械人間オルタ』に埋め込んだ生命性

―メディア芸術祭の受賞、おめでとうございます。『機械人間オルタ』は普通のアンドロイドとはどう違うのでしょう。『オルタ』の中に入れられているプログラムについても教えてください。

 ハードウェアを大阪大学の石黒浩先生がつくって、それをどう動かすかを決めるソフトウェアを僕らが開発しました。『オルタ』は手足を圧縮空気で動かすのですが、その背後に不安定な周期運動がつくられている。リズムをつくり出すのがCPG(セントラル・パターン・ジェネレータ)です。このCPGに対して「今は動くな」と抑制信号を与えるのが、人工のニューラルネットワークです。ロボットには、普通「こう動け」という命令をプログラミングしますが、『オルタ』の場合は刺激を避けるようにネットワークが結合を張り替えて変わってゆく。人間の体は安定で不安定なリズムが元になっている。このリズムをどういう加減で抑制するか、これが「意識の作用」だと考えられています。

 人工の神経回路にはいろいろありますけど、これまでつくられてきたバージョンをいくつも試している。60年代につくられたパーセプトロン、80年代にPDPっていうのができて、90年代にニューラルネットワークが下火となり、2000年になってディープラーニングが出てまた世界が一新された。この脳のモデルは50年以上の歴史です。それ以外に僕がつくってきたアイデアをいろいろ『オルタ』に入れているというわけです。

―『オルタ』が国内外のメディアに注目される理由は何なのでしょう。

 一番のカギは自律性と言うことです。何も言わなくてもいろんなパターンを自分でつくって動く。
 一般的なAIは人が命令しないと何もしない。スイッチを押さないと動かない。洗濯機と同じです。
 一方『オルタ』は学習システムを持っていて、自分からパターンをつくって動く。次に来る技術的なシステムは、自律的なシステムをどうやって構築するかということ。でも普通にやるとうまくつくれない。人が命令してないのにどうやって行為を決めるんだとか、モチベーションはどこにあるのかとか、そういう意識の問題に突き当たるわけです。それをみんなが躍起になって探している。

―『オルタ』に関しては、環境や刺激に対してどう反応するかを見たいがためにつくっている、ということですか。

 僕は、“動きから生命は生まれる”と考えています*。人間というモノも背後には進化する生命そのものがある。ゾウリムシとかミツバチとか、そういうものと共通した生命なわけです。多くのロボット研究者が、生命の進化の流れを連続スペクトラムとして考えないんですよ。「人間は別格」「ロボットはこうだ」という鉄腕アトムのようなイメージを持っているんだと思うんです。僕は、ゾウリムシから人間まで連続的なものとして捉えているので、「生命らしさとはなんだ?」という原理的なところから出発して、ロボットを考えています。例えばゾウリムシの運動と、『オルタ』の運動の違いは何か。生命にとって普遍的な自律とは、物理的な世界に生まれてくる意味は何か、と。

 実際僕がやってきたのは、「動く油滴」とか「ライフゲーム」の研究。「生命」という意味のゲームなんですけど、一定のパターンから始めるとほとんどの規則には生命はいない。ある特定のパターンからは、生きているやつが出てきてどんどん飛び始める。こういうのをグライダーと呼ぶのですが、このグライダーが重要で、例えば万能計算性を持っている。つまりは、ライフゲームでライフゲームがシミュレーションできる。ライフゲームでコンピュータができる。それを使ってある種の生命性がつくられると考えられなくもない。

 最近やっているのは、ボイドという古い群れのプログラム。しかし鳥(BOID)をコンピュータの中で100万匹をも飛ばすと、小さい数の世界とは違う構造が見えてくる。そういうものを創発、エマージェンスと呼びます。こういう風につくりなさいとか、こうなりなさいとか、一切説明していないのに、なぜか複雑な群れが出現する。

―個体がものすごくたくさんになった時に、複雑なはずなのにある種の法則ができてくるんですね?

 あるところまで規模がでかくなると、新しいパターンや性質を生成する能力があるということです。集団知というのもひとつの例です。神経細胞ネットワークでもこういうことはあるかもしれない。

*『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』
(池上高志著, 青土社2007)参照

シンギュラリティならすでに経験している

―人工知能が人間の能力を超えるとされる「2045年問題」が取りざたされています。技術的特異点「シンギュラリティ」はやってくるのでしょうか?

 指数関数的に増えていくというならまったくその通りだと思います。技術の進歩はこの2年で過去の20年分くらいに相当していますから、次の1年なんて過去40年くらいに値するんじゃないですか。来年、再来年に何が起こるのかは、実際わかりません。

 そもそも、僕はシンギュラリティは2010年くらいにすでにやってきたと思っているんですよ。アボガドロ数(1モルあたりの分子量6×1023)の粒子の数を相手にできるほどの高速なコンピュータが使えるようになり、ルービックキューブが最低20手で揃えられることを証明した。それまで、22手だと言われてきたんですけどね。デブ・ロイが生まれたばかりの自分の子どもを3年間家中にしかけたビデオカメラで録画し、どうやって言葉が発生するかについての膨大なデータを発表したのが2009年。2012年にはディープラーニングによって、猫の特徴を教えなくても、画像認識で自動的に猫だけを見つけ出すAIが登場しました。ビットコインの基本技術であるブロックチェーンも2008年です。爆発的なデータと桁違いの計算によって、これまでの科学の理論が必要ではなくなるんじゃないかという、そういう恐れと期待が2010年前後に出てきたわけです。技術的なブレイクスルー、シンギュラリティがあったのは、そこではないか。

 AIが2045年に人間を超えるという話は、あまりに人間中心的な見方なので、僕はあまり興味がないんです。真のシンギュラリティがあった2010年頃から科学の形や、みんなの意識が変わり始めた。バラバシという人が『バースト! 人間行動を支配するパターン』という本を書いていますが、当時僕も同じようなことを考えて人工知能学会に「マッシブ・データ・フロー」というセクションをつくった。それから5年間はいろいろやってみました。

 世の中には人間の理解できる範囲をはるかに凌駕したものがあって、人間のわかり方そのものを更新しなければ理解不能のままです。それが「2045年問題」後の技術革新によって更新されるのではと、恐れと期待を持たれたわけです。2045年というのは、そういう指標がないとわからない人に向けた、アイコン的なものにすぎないんじゃないかな。もっと早くなる可能性だってある。現に僕は2010年にその布石は打たれたと思うのです。

ALIFE(人工生命)とは何か

―ALIFEは、AIとどう違うのでしょう。

 AIは人間を超えませんよ。自律的でなければ怖くないじゃないですか。鉄砲と同じで道具です。AIを使って悪いことをするとすれば、それは人間でしょう。

―AIはALIFEの仲間であり一部であると書かれていますね?

 ALIFEの最大エフェクトとしてAIがあるということです。生き残るために知性を発展させるのであって、その逆の“知性から人間をつくる”とかはありえないと思う。

 ALIFEを考える時にはナチュラルインテリジェンス、自然知性を考えることが大事です。例えば人間のような脳を持たないミツバチでも「同一性」のような抽象概念を理解する。ディープラーニングとかAIとか言わなくても、すでに知性はたくさん出現しているわけです。地球は、原始的な化学反応のスープの世界から始まって、その中に40億年前に知性が立ち上がってきているわけです、進化の結果として。

―そうしたALIFEからのアプローチがある一方で、AI研究の先端では脳機能を人工でつくれるようにしようとしていますよね。大脳皮質のモデリングとか。

 大脳皮質を解かなくたって、おもしろいことが自然界にはいっぱいある。実際の脳をみて考えたガチガチのモデルだと、逆に人間の脳を超えないんじゃないかという恐れがあります。
 僕は「人間しばり」を取りたいんですよ。地球を含めた大きな生態系「ガイア」**を、うまく調整して維持していくのに必要なのは人間ではないでしょう。これからの10年20年で、それがAIに取って代わられていくということは簡単に想像がつきます。人間の営みをどう変えるべきか、どうCO2を減らすかを、それが自律的に調整することが可能になっているかもしれない。その仕組みとしてAIやALIFEを考えようということです。

 そもそも人類をなくしたほうが「ガイア」としてはいいでしょうからね。人間中心になって世界を変えていくというのはあまりよくない。人間が世界を独占してというのは、そろそろ変えたほうがいいんじゃないかな。そのためのAIとかALIFEをつくれたらいいと。

―国家元首や首相などは、AIがやった方がよかったりしますか?戦争を避ける道を探ってくれそうですよね。

 それはそうです。でも難しいですよ、AIは人がプログラムしているから。自律的なAIになれば自分で考えるようになりますけど、その場合人間を殺してでも世界を守ろうとする可能性はありますよ。
 もうひとつね、社会が荒れてしまう原因であり、人間にとってどうしても解消できないのが「不条理性」だと思うんですよ。例えば、何の罪もない人が、ひどいやつに殺されてしまう。病気だってそうです。「なんで自分が」「なんで自分の家族が」と。統計じゃない主観の世界です。そういうのは人間の世界に固有のものであって、動物にも化学反応にもないように僕には思える。

―ということは、ALIFEの満ちた世界では不条理も軽減されているんでしょうか。

 どうでしょうね。でも、何がいいかという価値観は、技術によって更新されるものです。時代が、技術が進んでいけばどんどん価値が変わっていくと思います。その中で人はまた別な不条理を感じるかもしれない。多分そうでしょうね。

**ガイア(GAIA) 地球と生物が相互に関係し合ってつくる生態系