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『聲の形』作者
大今 良時(おおいま よしとき)

『このマンガがすごい!2015』(宝島社)オトコ編で1位に選ばれ、『第19回手塚治虫文化賞』新生賞を受賞した『聲の形』が、これまでにないテーマのコミックとして話題になった。ストーリーの軸となるのは、聴覚障害をきっかけに壮絶ないじめを受けた少女・硝子と、彼女をいじめたことをきっかけに孤立した少年・将也。二人を取り巻く人々それぞれの生き方や感じ方が多彩に描かれ、連載当時(2014年12月終了)より様々な共感が寄せられた。「人と人とが互いに気持ちを伝えることのむずかしさ」をテーマとしたこの異色作は、今秋劇場版映画化も決定している。大きな反響を得た今、あらためて作者に作品について聴く。

掲載を見送られた投稿作

―『週刊少年マガジン』で連載される前は、読み切りの投稿作として書かれた物語ですよね。

故郷の岐阜にいた時に、岐阜でしか描けないことをと思って描いて、応募しました。早く東京に出たかったので、卒業的な意味で。岐阜の背景を使ったり、岐阜で経験したことを描いたり。母が手話通訳をしているので、いつか使わせてもらおうとも思っていたし。今描かないと、東京に行ったら描けなくなるだろうなと。

―投稿した『聲の形』は新人賞を獲りましたが、本誌掲載を見送られました。そこにはどういった判断があったのでしょう。

マガジン編集部「新人賞というのは才能評価で選考してるんですね。当時は先天性の障害でいじめが起こるという、克服の難しい根が深すぎる問題だから載せられないという判断だったんだと思います。でも、今こういう作品が出てきたら、僕らは掲載すると思います。。そういう道を大今先生は拓いたような気がします。単行本を1冊読めば危険なマンガじゃないというのはわかると思うんです。」

―2年後に『別冊マガジン』の方で掲載されるまでは、『マルドゥック・スクランブル』という冲方丁原作の作品を連載されていましたね。投稿作『聲の形』が掲載されないまま、どんな気持ちで『マルドゥック・スクランブル』を描いていたんですか。

もう、首つろうかと(笑)。すごく泣きました。載らないマンガは描いてないのと一緒だと思うと、本当にしんどかった。そんな時にありがたいお話をいただいたので、まだ私に足りない描くべきものがあって、『マルドゥック』でそれをやり切らないと次に進めない、と思って取り組みました。原作をもらって、何なら載せられるものなのか、描けるものなのか、確かめながら描くみたいな作業をやってました。
『別マガ』に読切りの『聲の形』が載ると決まってからは、ようやく前向きになれました。これで人気がとれたら『聲の形』を育てるし、とれなかったら新しいものを作ると決めたんです。幸い人気がとれたので、マルドゥックを描きながら資料集めやキャラ作りを始めました。ちょうど当時林原めぐみさん*と対談する機会があって、主人公の妹(結絃)を彼女のイメージで作ったり。

*声優、ラジオ番組パーソナリティ

多彩な登場人物たち

―『聲の形』の主要人物は8人だと思うのですが、キャラクターの描き分けがすごいですね。読んだ人たちに「自分はどのキャラに当てはまる?」と聞くと、投影できる人が必ずいる。なぜその若さでこんなことが描けるんでしょうか。

それぞれが自分の分身みたいな感じです。硝子が自分の気持ちをころして我慢するキャラだったら、その逆の何でも思ったことをすぐ言っちゃうキャラ(植野)を。友達を独占したいキャラ(永束)がいたら、反対に離れてるからこそ楽しく生きていけるキャラ(真柴)がいたり。自分自身の感情や経験を極端にした存在がキャラクターになっていて。そこに“こういう雰囲気”と思い浮かべちゃうモデルみたいな人はいます。よくある作り方なのかもしれませんけど、描き分けは、極端にする。敵役を作る時に主人公と真逆の思想を持った人をもってきたりしますよね。

―自分の分身であるということは、まず自分の心を観察しないと生まれてこないですよね。

ヒントはたくさん落ちていますよ。過去に自分が嫌だなと思った経験とかも。私の学校にも、意地悪な先生がいたんですよ。でも、なんであんなことをするのか、ということを先生の気持ちになって想像の中で生活してみると、やっぱりこういう生徒だったらムカツクよな、と思ったり。忙しくてストレスマックスだったらこういう風に言ってやりたいよなとか、こう言ってないと自分を保てないよなとか。経験から「あの人はこういうことを考えたんじゃないだろうか」「だからああいうことを言ったんじゃないだろうか」というのを想像して…。ネットにもヒントは落ちていて、厳しい意見を言うのは、この人が「こういうことを考えているからだ」「こういう気分になりたいからだ」と、いろいろ想像して…それに対する反論、さらにそれに対する反論を戦わせるというか…。

「わからん、みんな教えてくれ」

―そもそも、作品を通して読者の意見を聞いてみたいという気持ちがあったそうですね。

連載を始めるにあたって、「結論めいたものを出さないといけないの?」という悩みを持っていました。結論があるとストーリーとしてスッキリするし、読者もそれを求めているじゃないですか。ちょっとマンガに説教されたいとか、答えを知りたいとか、はっきりしたものがあると気持ちいいじゃないですか。でも当時の編集長に相談したら、「いや、いらないんじゃない」と。それからは結論めいたものは出さずに、その場について問いかけたいと。そうさせてもらえたっていうのは、かなりラッキーだったんです。
例えば、耳が聞こえない(音程が取れない)硝子が合唱コンクールに参加すべきなのかどうかというのを、硝子の立場からじゃなくて、クラスメートや先生の立場からだったり。どれが一番正義か、どれが道徳的に良いのか、どんな選択でみんながハッピーになれるのか、自分では答えが見つからなかったんです。純粋に意見を聞きたいな、と思ってそのまま描きました。「誰が悪い」「これが悪い」というさまざまな意見をみんながネットで書いてくれるんで、それを見られるのが嬉しかった。竹内先生*に共感している人もいて、私は安心しました。

―あの先生嫌だったねという人多いんですけど、あの人にはあの人なりの理由があってああなっちゃうんだ、という描かれ方をしてますね。自然主義っていうか、自分のバックボーンや立場がそれぞれあって、だからこう反応するんだというリアルさを全員について感じました。そこがすごいなと。結論をあえて作らず、問題提起というか。

問題提起というよりは…純粋に私の「聞きたい」「わからん、教えてくれ」という欲望のためですね。

*作中ではヒール役の小学校時代の担任