ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSについてのお問い合わせ
【CM情報センター】CMの二次利用についてのお問い合わせ

現在、電話・FAXでの受付を停止しております。
詳細は、「CM情報センター」ホームページをご確認ください。

刊行物

TOP > 刊行物 > ACC会報「ACCtion!」 > 広告ロックンローラーズ

箭内: ところで、人間にとって、服ってなんなんですかね? 佐智子さんのオフィス(ブリュッケ)のウェブサイトには、「一枚の布からはじまる様々な表現を構築し、提案」するって書いてあったんですけど。

伊藤: 「いまのあなた」ですよね。手相や顔相があるように、"服相"というものもあると思うんです。服や服の着方を見れば、どういう人かがわかる。でも、いまって意外とみんな、冒険をしないですよね? ファッション的にはもう渾然としていて、60's、70'sのような主張もないというか。

箭内: 確かに昔はルーズソックスの時代があったりとか、とんでもないものが生まれてましたけど。

伊藤: ミニスカートが流行ったらみんな穿いてね。それが自分自身の革命になっていく。ファッションって自分自身の革命でもあるんです。だけど、そういうのもいま、全然ないですよね。

箭内: 自分自身の革命が、ファッションによってもたらされない状態が続いているという…。それはもったいないですね。

伊藤: パリコレのような場所では、そういうことも目にするけれど、それが実際のところ、どれくらいストリートファッションに落ちているのかというのは…。まあ、落ちてないわけじゃないんですけどね。やっぱりファッションがどの世界よりも新しいし、そのぶん大変な世界でもあるんですけど。

箭内: なんでこういう感じなんですかね? 最近。

伊藤: どうなんでしょう? 安いものはあっていいと思うのね。でも、いいものも知ってほしいなと思うんです。片方だけじゃ、やっぱり生き方としておかしいから。どっちも知ることが大切なんですけど、知る術がないのかもしれない。そういう意味では、私、案内人になりたいなと思いますけど。

箭内: 案内人、いいですね。広告のお話に戻ると、佐智子さんはいまの広告の世界をどう見てらっしゃるんですか。

伊藤: 私、結構、衣裳的に大変な仕事しか来ないんですよね。もうちょっと楽な仕事もきたら、すごくいいんですけど(笑)。

箭内: ほんとですか?(笑)ちなみに楽な仕事というのは?

伊藤: なんていうの? 「すごくキュートで、ビビッドな女の子をつくってください」みたいな仕事だったら、ほんとにね。でも、なかなか来なくて。そういうのもそれなりに面白いんですけど。
広告の仕事で、最近すごく面白かったのはラフォーレ原宿。私、ラフォーレの仕事は長くて、いつも実験的なことをやってるんですけど、このあいだは、人が折り紙を着て獅子舞をするっていう企画だったんですね(GRAND BAZAR 2018)。デザイナーは矢後(直規)さんという、なかなか好奇心が強い人で。
でも、人間が折り紙を着るとなると、そう簡単に撮影に耐えられるものにはならないですから、何度も何度も試行錯誤するわけです。見る人は「紙だからすぐできるんじゃないか?」って思うかもしれないけど、軽く見せるための努力が並大抵のことではないんですよ。

箭内: 楽な仕事じゃないですね、やっぱり(笑)。

伊藤: ラフォーレは久しぶりに竹内スグルさんがムービーを撮ったのね。彼、自分で撮るじゃないですか? ディレクションとカメラの両方やるんだけど、そういうのはいいですね。スタッフの人数は少ないほうがいいなと思いました。いま、すごい細分化してるじゃないですか。
おすしと同じで、早くつくらないとダメだから。長く握ってたら、活きが悪くなるじゃないですか。被写体が本当にイキイキしているときに撮らないと。

箭内: そう言えば、「あまちゃん」の衣装を担当されてましたね(衣装アドバイザー)。

伊藤: 私は全体ではなくて、あまちゃん軍団をどうするか? という仕事で、実際に衣装を全部やったのは、宮本信子さんと蟹江敬三さんなんですよ。あとはディレクションをして、この人はこういう色の感じとか、この人はこういうキャラクターといった関わり方ではあったんですけど、「意外だ」って結構みんなに言われました。本当にすごい人気でしたよね。「あまちゃんロス」みたいな社会現象になったのも面白くて。

箭内: 頼まれてないけど、これからやってみたいこともあるんですか。基本的には「来た球を打つ」仕事ではあると思うんですけど。

伊藤: 基本的にはそうですね。でも、いま初めて、来た球を打つんじゃないことをやっていて。それ、話すとちょっと長くなるんだけど……大丈夫ですか?

箭内: はい、その話だけで終わっても大丈夫です(笑)。

伊藤: あのね、この11年くらいある写真集を出したくて、それも海外で出したくて、ずっと動いていたんです。でも、無名の写真家だし、なかなか難しくて。それで「どうしたら出せるかな?」なんて、ずっともんもんとしていたんですけど、それがようやく実現して。