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Vol.17

SF小説が照らし出すリアリティ

―私たちは何年間も毎日同じような生活をして、空想をする機会や習慣がすごく減っていると思います。一方でSF小説は、「もしこのピンホールから覗いたらこういう世の中になるよ」と、“if”があることで空想を広げていきますよね?

SFは予言の文学というわけではありません。たとえば、現在のスマートフォンのようなものを予想したSF作家はひとりもいなかった。小松左京の『継ぐのは誰か?』に似たものが出てきますが、コミュニケーターとしてしか使われていない。こんなに万能の端末をみんなが持っているような世の中は想像されていなかった。昔のSFには腕時計型の通信端末がよく登場しましたが、実際はあらゆることがこの一枚の板で済ませられるようになった結果、みんな電話をしなくなったし、腕時計をする人も減った。生活習慣の変化まで含めて、世の中の未来を想像することは困難です。
SFは未来予測ではないので別に当たらなくていいんですけど、社会の変化を書いたときに「なるほどね」「すごいことを考えるな」とみんなの実感を伴うような未来をリアルに構築して、可能性を広げられたらいいですよね。

企業でものをつくって市場に出したり、試作品を製作するには経費も労力もものすごく必要です。でもSFで書く分には頭の中で考えるだけだから、どれだけ可能性を広げてもいいし、どんな嘘を考えてもいい。ただそれだけだと飲み屋でする莫迦話と同じなので、どこまで真剣にその可能性を考えて、どれだけ読んだ人が実感できるものを想像できるかが重要になる。
『三体』もそうですが、「アルファケンタウリから2000隻の侵略艦隊が来る話を書いているんだ」とだけ聞いたら、「莫迦じゃない?」と思う人が多いかもしれない。でもそこに、実際にそういうことがあったらこうなるかもしれないと、ありありと想像させるような話にできたら、結果が変わってくる。読者の考えが及ばないところまで考えるという点が、SFの面白さですよね。

テッド・チャンの短編集『息吹』*1に入っている「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」は、デジタルのペットを育てる話。育てる前からAIが完成形であるはずないだろう、というのが原点ですね。AIのペットと何十年というスパンで過ごしていくと、OSの開発が終了した場合どの環境でAIが動くのか。AIBOが生産終了になったら修理はどうするの?というのに似た状況が生まれる。ユーザーたちがサポートグループをつくったり、ボランティアで修理を請け負ったりするんです。そのうちAIが自分で環境移行のための費用を稼ぐ算段を立てたりする。いつまでも子どもだと思っていたけど、もう決定権を認めましょうと。そこには、技術の可能性というだけではなくて、10年後、30年後社会がどうなっているでしょうということが描かれています。
「偽りのない事実、偽りのない気持ち」という短編は、日常のあらゆるメールや会話や写真がライフログとしてクラウドに保存されている近未来の話です。記録は膨大に残されているけれど、大量すぎてとりだせない。スマホの中から、「3年くらい前に行ったあの居酒屋どこだっけ」と探そうとしてもなかなか検索できない。そこで脳の中に、知りたい情報をパッと呼び出してくれる機能をインストールするんです。すると、視野の片隅に、過去の記録が再生されるようになる。するとどうなるでしょう。夫婦喧嘩の「言った、言わない」論争に終止符が打たれますよね。作中では、主人公が娘に言われたと思っていたひどい言葉が、実は自分が放った言葉だったと判明したりする。記憶が人格を形成しているけど、それが記録と一致しないということが起きたときに、どちらが真実なのかと…。
その話と並行して、文字に初めて触れたアフリカの部族の話が語られます。ひとりだけ、欧米人から文字という最新テクノロジーを習った少年が、語り部の口伝の間違いを指摘する。けれど語り部は、「君は真実というものをわかっていない」「紙に書いたものが真実というわけではない」と。そういう軋轢がありつつ、結局はみんな文字で記録するという新しい技術を少しずつ受け入れていく。新技術と折り合いをつけて、生活の中に定着させるまでには時間がかかるよねという当たり前の話なんですけど、それがすごく実感できるように書かれている。
テクノロジーを開発しているときに、そこまで思い至るのか? そこの実感をもって書けるかどうかが問われますね。

*1)テッド・チャン『息吹』 第1作品集『あなたの人生の物語』以来、17年ぶり2冊目の短編集(早川書房、大森望訳/2019年)ヒューゴー賞、ローカス賞、英国SF協会賞受賞の「息吹」(原書“Exhalation”/2008年)など9篇を収録。

SF小説は可能性を探求する

テクノロジーとそれにまつわる倫理的な問題や、使い方の問題などもSFのテーマ。
最近マルチバースが流行っていますけど、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』みたいに、別の世界の自分とやり取りできる機械ができたらどうなるか。それを書いた短編が「不安は自由のめまい」です。たとえば1カ月前に分岐したばかりの別の世界の自分が、趣味でつくっているアクセサリーをインフルエンサーに紹介されて大儲けしているとしましょう。すると、そちら側も同じ自分であるにもかかわらず、「あの女だけ成功した」「同じ苦労をしているのに自分はパッとしない」「許せない」となるんですよ。他人に対してよりも、並行世界の自分に対して嫉妬してしまう。昔から書かれてきたテーマであっても、現実に近づくことで、アプローチの仕方が変わってきます。

-確かに。「AI三原則」と言われているのも、アシモフの「ロボット三原則」*2の焼き直しですもんね。

AIも遺伝子操作もそうですけど、SFの中で何十年も前から検討されてきた問題がいま現実になる、ということは結構あります。たとえばSF畑の人たちは生成AIを推してきたんですよ。「星新一賞」も生成AI作品の応募を受け付けますと最初は言っていたんです。ところがそれが現実になってくると、急に「AIは禁止です」となる。アメリカのオンラインSF誌でも何千というAIで書かれたものが投稿されて選考ができなくなり、「オンライン投稿は全部やめます」と。これは「SF雑誌もAI締め出し」とニュースになっていました。日本SF作家クラブも、「AIの学習に作家の作品を利用することには賛同できない」と声明を出すようですね。革新的な可能性を追求してきたはずのSF作家も、いざそれが現実問題となると、保守的にならざるを得ない。

―SF界にはOKにして欲しいですね(笑)。

現実問題としては難しいんですよね。AIが小説や絵を描くことは1960年代から描かれてきたけど、大規模言語モデルのためのデータを取る際に著作権はどうなる、といった現実的な問題としては考えられていなかった。SFの中で考えられていたことと現実の問題とでは、解像度の違いや、興味の向け方の違いがどうしても出てくる。
だからSFで読んでおけば安心という話でもないんです(笑)。ただ、ものの考え方として、いろいろな可能性を考える上では非常に役立っていると思うんです。出生前遺伝子診断とか、クローンとか、研究も行なわれているだろうけど、それによってどんなことが起こるのか、その無数の可能性が小説として発表されている。アニメや映画で表現するとなるとすごいお金がかかるけれど、小説なら一番コストがかからない。マンガよりもさらに低コストで、時間もかからない。いろいろな形でさまざまな人が“可能性”を探求していて、それが何かの根っこにはなる。

―大森さんが今、SF小説やSF映画をつくるとしたら、ユートピアとディストピアのどちらを描きますか。

それはもう、気の持ちようなんですよ。
今の日本を明らかなディストピアとして書くこともできる。特にネットでの相互監視社会についてはそう言えますよね。でも『1984』*3に出てくるビッグ・ブラザーによる監視社会のような完全なディストピアは、おそらくまだ到来していない。「炎上」という新たな監視システムでネットリンチが起こる社会を、もし30年前くらいに描いているSFがあったとしたら、すごい予見性があったと言えるでしょうね。
一方で、楽しく生きている人たちもたくさんいます。ユートピアではないかもしれないけど、幸せな社会として描くことはできると思うんですよね。

未来を描くときに、今より悪くなっている社会を書いたものの方が圧倒的に多い。その方がリアリティがあって、実感が近いんだと思います。とくにアメリカでは、子ども向けのディストピアものがとても多いんです。管理社会に反抗して脱出するような話。
日本では、SF作家はあまりディストピアを書いていなくて、むしろ純文学系の人たちや、児童文学系の女性作家とかが一度は書いているという印象です。かといってユートピアものも少ない。藤井太洋さんが“エンジニアの知恵と勇気と技術で未来を変える”という、ポジティブな変化をもたらす可能性を書いていたのが新鮮だったくらい。あとは野尻抱介さんの『ふわふわの泉』ですかね。

*2)アイザック・アシモフは、1950年に発表したSF小説短編集『われはロボット』(I, Robot)の冒頭部分で、「人間に危害を加えてはならない」、「人間の命令に従わなければならない」、「自己を守らなければならない」というロボットの行動を支配する3原則を提示した。

*3)ジョージ・オーウェル『1984』はディストピアを描いたSF小説。アップル・コンピュータの伝説的CM「1984」では、オリジナル小説をベースとなる物語として引用した。

「はっぱふみふみ」、「おいしい生活」、宇宙人ジョーンズ-広告は時代の変化の最先端

-これまで見てきた広告で、印象的だったものはありますか。

糸井重里世代なので、西武の「おいしい生活」にウディ・アレンが出てきたときは驚きました。「おいしい生活」に皮肉をもたせて、絶妙なキャスティングで面白かった。子どものころに見たテレビCMだと、一番覚えているのは大橋巨泉の「はっぱふみふみ」*4。「みじかびの きゃぷり『て』とれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」だとずっと思っていたけど、改めて動画を見たら「きゃぷり『き』」と言ってたんですよね。さっきの記憶と記録の齟齬の話じゃないけど、ちょっと衝撃を受けました。まあ、実際はどっちでもいいんですけどねべつに(笑)。謎の言葉だから。
あとは鏡明さんのパナソニックのCM*5ですね。ジョージ・ルーカスが出ているやつ。鏡さんがつくったと知っているからまた印象が残るのでしょうかね。
いま放送しているもので言うと、SF的な感覚で面白いのは、トミー・リー・ジョーンズのサントリーBOSSのCM。宇宙人の目から地球の人類文化を見ている。『三体』的ですね(笑)。宇宙人が地球人の姿で潜入しているというのは、1950年代のSFでは完全にスパイのメタファーだったんですよ。隣にソ連のスパイがいるかもしれない、という恐怖は冷戦時代にはリアルだった。アメリカのSFでは人間そっくりの侵略者が徐々に街中で増えていくといった話が多かったんです。
それがねえ、トミー・リー・ジョーンズはどういう任務でどこから来たのだろう、と考え始めると(笑)。ひとりで来てるってことはないだろう、とか。なぜ日本なのか、とか。一発ネタかと思ったのに、ずいぶん長いこと続いていますね。

-最後に、若いクリエイターにメッセージをお願いします。

広告は時代の変化の最先端にいるわけじゃないですか。やり方はいろいろ変わってきているのだろうけど、もっと驚くような広告を見たいという希望はあります。
それから、広告業界の人は比較的本を読んでいるというイメージがあるので、読者として期待しています。「SFは広告の発想に役立ちます!」と確信をもって言えればいいんですけど(笑)。もっと若い人、若いクリエイターにSFを読んで欲しいんですよね。今、アンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』*6がすごく売れています。初めてSFを読むという人には、一番おすすめ。映画化も決まっていて話題の作品です。とっつきやすいと思うので、ぜひ。

-本日はありがとうございました。

*4) パイロット萬年筆株式会社(現:株式会社パイロットコーポレーション)の万年筆「エリートS」のCM(1969年)

*5) パナソニック Hi-fiマックロードほか「いつもSOMETHING NEW」一連のCM(1987年~)

*6) アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(早川書房、小野田和子訳/2021年)。日本語版は、ウィアー『火星の人』に次いで二度目となる星雲賞海外長編部門を受賞。

インタビュアー:丸山 顕
執筆協力:矢島 史
photo:村上 拓也

大森 望(おおもり のぞみ)
書評家・SF翻訳家・ SFアンソロジスト
1961年高知生まれ。書評家・SF翻訳家・ SFアンソロジスト。著書に『21世紀SF1000』、『新編 SF翻訳講座』、《文学賞メッタ斬り!》シリーズ(豊崎由美と共著)など。アンソロジーに《NOVA 書き下ろし日本SFコレクション》シリーズなど。訳書にコニー・ウィリス『航路』、劉慈欣『三体』シリーズ(共訳)、テッド・ チャン『息吹』など多数。責任編集の《NOVA》全10巻、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回・第40回日本SF大賞特別賞。