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「広告の死」はやってくるのか

―先生が『ほんとうの「哲学」の話をしよう』の中で書かれている「広告の死」についてお聞きします。
最近の広告に、作品というよりプロジェクトや事例を企画・実施する潮流があります。変貌を運命づけられているメディアありきではなく、企業や社会の問題を発見して課題を解決する過程をコンテンツ化して発信しています。これがこれからの広告のひとつの形だとしたら、「広告は死にはしないのでは」と思うのですが、いかがでしょう。

 この話はハラリ氏の説と同じで、時間的なスパンを示していませんでしたね(笑)。広告は人々に働きかけて、注意や行動を一定の方向に向けさせる。となると、最終的には脳なわけです。今はその手前の目や耳に刺激を与えて脳を変えるというパターンですが、脳科学がさらに進めばあいだがいらなくなり、ショートカットして脳に直接刺激を与えられるようになるのではないでしょうか。突拍子のない話に聞こえるでしょうが、100年前、精神の病にはカウンセリングと行動療法しかできることはありませんでしたが、今では薬物療法で直接脳を変えることができます。広告も、そこまで視野に入れて考える時期ではないかと思っています。ここ数十年の話よりは、ずっと先でしょうけれど。

―一方で「脳科学は進んでも、心についてはまだサイエンスされていない」という指摘もあります。広告が物語や文脈によって情動を生み出しているのだとすると、どちらかというと「心」に作用しているのではないかと思うのですが

 「脳とは別に心がある」という発想はないです。脳の変化に介入できれば、心の在り方も変えられると思います。「刺激に対しての反応」は、その時代の技術的な水準と深くかかわりあっています。古くは文字と絵でイメージをつくっていたし、その後動画がつくれるようになった。
心で感じていることは脳での働きと逐一対応しています。ただ、そこがショートカットされるようになる可能性はある。

―『ほんとうの「哲学」の話をしよう』のなかで一番興味深かったのは「記憶と忘却」についてです。人間には忘却があるからこそ想起するのだと。私たちクリエイティブがやっていることと同じですね。想起の瞬間を見ている人に感じてもらうということです。ところが、デジタルデータって忘却しないんですね(笑)。

 そうです、そうです。つねに顕在して、忘却して眠っていたやつをパッと思いつくという形にならない。デジタルデータと脳の違いになるでしょうね。
純粋情報を脳に直接入れようというのはAI化のスタイルですね。感覚器を通した刺激でさまざまな反応が出てくるというのではなく、ダイレクトに脳に刺激を与えて結果を出す「1対1対応」の世界。デジタル式だと思います。

―記憶をするために言葉があって、文字化するようになって記憶容量が大幅に増えた。同時に、忘却できるようになった。ところが忘却や想起と無縁のデジタルデータが出てきて、人間を大きく変えることになりますね。

 はい。例えば「自動翻訳機って人間と同じようには話せませんよね」と言われたら、私は「人間が、機械が翻訳できるように話すんです」と言います。明治時代に作家が言文一致体で日本語を書き直したように、AIに翻訳できるように私たちがしゃべり方を変えるんです。すると発想法も変わるかもしれない。

―AIと対戦して将棋を鍛えた人はこれまでと違う打ち方ができる、というやつですね。発想の多様性がどんどん増えていく。

デジタルがもたらす変化は、必ずしもディストピアではない

―ところで脳に直接刺激を入れるのが許される世界は、ディストピアではないかと言う意見がありますが。

 そういうイメージを持たれることが多いけれど、果たしてそうなのかな?と考えることは重要だと思います。薬で精神的な不具合を改善できた時に、ディストピアとは思わない。「今日は気分が悪いから脳に刺激を与えて改善しよう」というように、新しい可能性が広がるかもしれません。技術の進歩が人間にどう作用するかと考えるとき、あらかじめ悲観的になる必要はないと思っています。
 今の広告の中にも、脳に直接刺激を与えるという流れが表れている場合もあるのではないでしょうか。意味や物語を理解するのではなく、心理学でいうサブリミナル効果に近い形で刺激を与えて脳に何らかの変化を及ぼすような広告が。そういった広告の技術的な水準があがったり、おもしろいものが作られたりすれば、また新しい展開があるのだと思います

―最後に、岡本先生が今までの中で好きな広告は何ですか。

広告は社会のターニングポイントで「予告」「警告」という働きをすると言いましたが、プロデューサー藤岡和賀夫さんの富士ゼロックス「モーレツから、ビューティフルへ」がそうでした。時代の変化を予感して予告していたと思います。

―今の日本の広告について、何か印象をお持ちなら教えてください。

 今の広告に対する印象がまったくないんですよね。それで「広告の死」という言葉を使いたくなったのですが。
 以前の広告は意味としてわかりやすかったのですが、最近は「意味がほとんどないしそれほど尖ってもいないけど、刺激を与えよう」と流れている気がします。するとほとんど記憶に残らない。
多分それでよくて、短期の記憶に残る広告を打って短期で行動させるのがポイントなんでしょうね。それはほぼ、私たちの世代になると反応しない。
 もしかすると広告は、これからは年代に合わせて二極化する必要があるかもしれませんね。

インタビュアー 丸山 顕

岡本裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部名誉教授

1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。ほかの著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシヤ出版)『世界を知るための哲学的思考実験』(朝日新聞出版、2019)『哲学の世界へようこそ。』(ポプラ社,2019)など多数。