ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSについてのお問い合わせ
【CM情報センター】CMの二次利用についてのお問い合わせ

現在、電話・FAXでの受付を停止しております。
詳細は、「CM情報センター」ホームページをご確認ください。

刊行物

TOP > 刊行物 > ACC会報「ACCtion!」 > オープニングキーノート

クリエイティブで教育を変えることはできるか

市耒: 福田さん、先ほどちょっと話に出た、クリエイティブで教育をどう変えられるのかのお話を聞かせてください。広告で培った技法の有効性、汎用性など。とくに学校教育は一番遠いところにあるように見えるので。

福田: 広告屋の強さで言うと、ぼくらは「こうしたらウケるだろう」「おもしろくなるだろう」とわかる勘を持っているから。僕は外部講師を呼んできてイベントをしているのだけど、これは今までも教師がやってきたことでもあるんですよ。ただ、外部講師の選び方がとか、生徒たちが盛り上がっているのかとか、その接点に違いがある。
僕らにはそこの技術があって、これがクリエイティブディレクションなのかもしれません。この組み合わせでこうしたら盛り上がるというのを外さない。生徒の体験は一期一会なので、外している場合じゃないんですよ。

市耒: コンセプト、オリエン、戦略、キャスティングと、全部自分で。

福田: プロデューサーのような感じですね。あとは学校経営。学校の中を回すのと同時に、「あっちの学校よりこっちの方が」という外との争いもある。自分の学校を残すためにも、クリエイティブディレクション+経営という視点が必要になります。広告屋さんは借りものを売るためにクリエイティブをつくっているから、ブランドのなかからという経験はしていない。生徒たちがこの1分1秒で変わるんだという自分ごととして携われる点で、違うのかな。

長久: クライアントのために時間を捧げまくる訓練をさせられるじゃないですか。そのクライアントが子どもたちや教育なのだとしたら、大人がやるべき仕事だなと感じますね。

福田: 自然に力を注げる。そこに自分の身をおいたというのが、僕のクリエイティブ

市耒: そうか、子どもがクライアントね。子どもは未来だから、未来がクライアントと思え。

草野: 全国の学校に広告会社出身者を入れたいですね。そうしたら世の中変わりそう。

市耒: ぶっちゃけ、ゼロイチをやりたくなりませんか。カリキュラムからつくる。現場に行ってみてどう感じますか。

福田: 現実の学校なので文科省のカリキュラムに沿っていて、僕はそれ以外のことをやっています。ただ、そのカリキュラムを全部取っ払ってしまうことは多分できるんですよ。実際にそうしている学校もいくつか出てきていて、そういった学校の方々とは友だちにはなっているんです。ノウハウとしては貯まりつつあるので、そこまで行く自分がいるかもしれない。校舎がなくて、ずっと旅をしている学校もあるんです。ゼロイチで学校をクリエイティブということも、できてしまう。

広告のスキルの汎用性

市耒: 長久さんは映画、映像という側面と、プランナーという側面を持っている。クリエイティブディレクションの技法には汎用性があると感じますか?

長久: プランナーをやっていたから、今の撮り方ができています。学生の頃に撮っていたけれど、何にも引っかからない感じだったし。プランナーを通ると、人を巻き込む方法を知る。プランナーは言語化できないことを言語化して説明したり、調整役になったりするから、それはクリエイティブとは違うけれど。僕はシュルレアリスムが好きだし世に必要だと思っているのですが、お金をとって形として出すとなると、プランナーを経ていなければ定着できなかっただろうなと思うんです。

市耒: イニャリトゥやスパイク・ジョーンズなんかもCMで腕を磨いて映画監督になった。あるんだろうね、技の磨き方が。

平野: 広告会社にいたころ、上司から「広告をつくるというのは文理芸の融合、理性と感性の衝突」と言われて、当時は何を言っているのかわからなかったんです。でもお菓子屋さんを経営していると、その文理芸の融合がないと乗り越えられない。理性と感性の衝突にしても、「これだったらかわいい!」というのと、毎週上がってくるデータでマーケティングを考える面と。両方ないと、最終的にみんなをハッピーにすることはできない。
唯一、かつての自分にはなくて、今あると感じているのは「責任」。自分がやりたくてやっていること、責任があるからこその粘り強さは感じます。ギリギリまで悩んで「やっぱりB案で!」と言い切る力というか。

クリエイティブ業界は、プールから海へ
これからの人たちへのメッセージ

市耒: クリエイティブ業界は今、プールが海になるように広がっています。どこに泳いでも怪物がいるし、新大陸が見つかるドキドキする時代。若いクリエイター、もしくは18歳だったときの自分に何を言いますか?

長久: 「おじさんのことは無視して好きにやれ」だけです。みんなつまらないことばっかり言うからね。あとは、自分に嘘をつかないこと。僕はそれで体調が悪くなって、2年くらいコルセットを外せない時期があったんです。歩けなくなっちゃった。自分に嘘をついてつくっていると、本当に心と体によくない。「嘘ついてるな、つらいな」と思ったらとにかく、「本当はこう思ってます」と言うこと。シンプルだけど、難しいんですけどね。

平野: 広告会社の入社式で「自分のやりたいことではなく、人がやってもらいたいことをやるんです」と言われて、自分の羅針盤がぶるぶるぶる~!と迷ったのを覚えています。私は自分の「やりたい」を見失わないように、自分を守ることが大切だと思います。もちろんあてがわれるものはあるのだけれど、例えばスニッカーズをあてがわれてもキャラウェイシードをつけて食べるみたいな。「〇〇じゃなきゃいけない」と抑圧でやらなきゃいけないことでも、合気道的に自分の力にしていってほしいです。

福田: 教育では「正解のない未来」というワードが出がちです。そこをどう生き抜いていけるかを、学校は生徒に与えなければいけないという文脈で使われる。クリエイターの感覚だと「やっほう!自分で正解つくっていいんだ」と受け取るけど、世の中の人は暗い顔をしてこれを言うんですよ。これから正解のないクリエイティブ市場に出ていく若きクリエイターは、映像15秒である必要も新聞15段である必要もないという世界を生きるのだから、どんどん自分たちで正解をつくっていいんだと伝えたいです。

草野: 私は、あんまり完璧主義になりすぎない方がいいと言いたいです。あとは、できるだけ形にしていくということをがんばってほしい。途中までで完成させられずお蔵入りになった作品がいっぱいあるんですよ。でも、形にしていかないと積み重ねにならないので、とにかく完了させてと昔の自分にも伝えたい。
完璧主義になりすぎると、動きが遅くなってしまうんですよね。いろんな人を巻き込みながら形にしてほしい。時間がないなら、たとえばSNSで発信する何かをつくってみるとか。それをきっかけに次の大きなオファーが来るかもしれないし。「これの長編をつくってみて」とか。

市耒: クライアントがあるものでも、プライベートのものでも、とにかく手を動かしてつくり続ける。それは一貫していますよね。

草野: 平野さんも小学生のころから積み重ねているものがあるから仕事が来るのだと思うし、平野さんらしい仕事ができている。頭の中で考えているだけでは、それは叶わないですからね。

市耒: 広告業界にいると、若いときはプールで泳ぎ方――コンセプト、企画、コピー、ビジュアライゼーションを習う。そこでずっと泳ぎを競うのもいいけれど、海に出てほしい。本日来ていただいたのは、映画監督、食のディレクター、NFTアーティスト、学校の先生で、お話を聞いているとクリエイティビティって海だなと思うんです。プールで泳げるようになったあと「もしかしたらサメに食われちゃうかも」って思いながらも、海に飛び出して沖に出ちゃった方々。
僕は個人的に、足の届かないところで泳ぐことがとても重要だと思っています。創造性が、一番大きな社会の資本になってほしいから。「わくわくさせようぜ」「見たことないものつくろうぜ」「自分に正直にものをつくろうぜ」というのが、僕らが起こすべき波だと思うんです。