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~クリエイターわらしべ物語~

尾形真理子

あの人「は」今って言ったら消えた芸能人の行方を探すアレですが、あの人「が」今と言ったらその逆です。わらを握りしめて泥の中をもがいていたのは過去の姿。数多の受賞を経て、今や世の中を騒がせる話題のクリエイターに! そんなわらしべ長者的に階段をかけのぼりビッグになったクリエイターをご紹介するこの連載。第9弾はルミネでおなじみ、最近では映画ドラえもん、Netflixなど見る人の心とつながる広告を世に出し続けるコピーライター/クリエイティブディレクターの尾形真理子さんに話を聞きました。

尾形真理子のルーツ

―どんな子どもだったんですか? 今に繋がるようなルーツをお聞きしたくて。

 それがとくに語るようなものは……両親は堅めの職業で、ごく一般的なフツーの家庭でフツーに育ったんです。特別なクリエイティブ教育を受けるような環境ではありませんでした。ただ、両親からすると「この子は自由にさせておこう」と思うところがあったようです。一人遊びが好きで、できないことはキッパリとあきらめて手を付けなくなるし、少し変わっていると見えていたようで。鉛筆を削って、折って、また削るのがおもしろくなって、12本全部ちびさせてしまったり。小学4年生の時に、扇風機でなびく髪の毛がジャマで、片側だけハサミで切ってしまった思い出もあります。テレビを観るのにジャマだったんですよね。今、振り返るとあれですが。

―人目の気になりだすなかなかのお年頃ですよね。

 その頃すでに、「人目を気にしても仕方ない」という意識があったということはあります。というのも、その時点で私の身長は158㎝ありました。小6の時には168㎝まで伸びて。幼稚園の時から周りより頭一つ大きくて、会う人会う人一声目に「背が大きいね」と言うわけです。聞いていい気のしない言い方をする人もいますし、子ども料金で入ることを不審がられることも。大人に見えても中身は子どもなことに変わりはなくて、見かけを気にしても仕方ないと小さい頃から感じていたんです。身長を気にしていると人生がつまらなくなるなと感じて、幼稚園の時にやめようと決めていました。だから高校の時にはヒールを履いて、高さの似合うファッションを身につけて。
 その感覚は、今でも変わりません。この業界は男社会なので、「女で若い」というだけで希少性があって、入った頃はそれだけで仕事に呼ばれるんですよ。ひどいと「プレゼンの場に座っていてくれるだけでいい」なんて言われて。女性向け商品だと、女性が座っていないと格好がつかないからと。当時は、「とにかく若い女である内に実力をつけなきゃまずい」と考えていました。属性や見た目で評価されることは、長くは続かないと。

―コピーライターになろうと思ったのはいつなんですか。

 高校生の時に、自分はしゃべるより「書く」ほうが向いているなと思いました。大学はなんとなく、行けるところに入ろうという感じで入って、アルバイトで新聞社に通っていました。報道記者に憧れたりもしました。ただ、就職試験で例え同じお題が出ても、社の色に合わせて書くことを変える必要がある。私はリベラルな環境で育っているし、どうだろうと思っていた時に、駅貼りのポスター「そうだ、京都行こう。」が目に入りました。美しい紅葉の写真に、好奇心を刺激する言葉がのせられていて、こんないいものをただで見られるなんて!と。自由な空気を感じて、こういうのをやりたいと思った、それが始まりですかね。
 なにしろ“ただ”というのが魅力でした。街で自然に目に入るもののレベルが高いと、そこに生きる人は豊かになれますよね。ルミネをもう20年近く担当していますが、看板が街の一部をつくるという意識はいつも持つようにしています。そうでなければ、広告は金持ちがゴミ捨ててるみたいなことになっちゃいますから。CMにしても、クオリティが高ければ見る人にとってプラスですけれど……

何もわからず焦りの中に10年間

―入社して3年後には朝日広告賞を獲られてますし、トントン拍子かのように見えます。

 いや、賞はもらいましたけど、なぜもらえたのかはわかっていませんでした。いろいろ書いた中から先輩が「これいいんじゃない」と選んでくれたので、先輩がいなければもらえていない賞です。その頃は良いコピーと悪いコピーの差も自分ではわからず、社会を映しているなんて評価されて「あっ、そうなんです」という感じです。何もわかっていないので、仕事のうえでも期待に応えられていませんでした。
 オリエンを受けたら本来、まず「何を考えるべきか」を考えて、次に「どうしたら伝わるか」を考えます。キャリアを積むと同時にできるようになるんですけど……当時はその「何を考えるべきか」がまったくわからず。例えば“80代女性に贈るもの”というお題があったら、私はビキニから将棋盤まで考えてしまう。自分の中では独りよがりの「ビキニがいい」ストーリーがあるんでしょうけど、先輩に「万歩計がいいよね」と言われて「あ、そうなんだ」と。商品が水だったとしたら、切り口は「新しさ」だとか「容器」だとかいろいろあるのに、私は「水とは何か」から調べ始めてしまう。こんなに遠いところからとんちんかんに考えていたらマーケティングにたどり着きませんよ。それくらい、わかっていませんでした。

―その五里霧中な感じからはいつ抜け出せたんですか?

 結構長いことかかりました。若い女であることばかりが目立ち、“応えられるコピーがつくれない”という焦りの中に10年はいました。
 まったくフツーの家庭で育ってクリエイティブ要素のまったくない学生時代を経ていますから、自分に期待がなくて「とにかく力をつけなくちゃ」と。デザインや音楽をやっていたでもなければ、映画を撮っていたわけでもない。モノを作りに自信がある人が社会に出ると、一度鼻を折られるわけですよ。けれど私には何もないから、「折る鼻がない」と先輩に言われていました。こだわりがないがゆえに、素直に教えを聞けた一面はあるとは思いますが。
 とにかく必死にうまくなろうと闇雲に書いていましたが、「何をがんばっているのかはわからない」と言われる始末でした。なにしろ「水とは何か」でしたから。プレゼンに行っても何もしゃべれないんです。狙いをわかっていないから、しゃべるとすべる。「お前がいると盛り下がる」と言われた時には、帰ってから泣きましたね……。

―若い女の勲章をもってしても、すべる!

 そのころは、トレーナーの先輩が「若い女ということでちやほやされているとダメになる」と言って、女だから振られる仕事に私を入れないようにしてくれたんですね。だからまあ、普通にすべって。それが今となってはありがたい。ただ、30代後半になってから“女仕事”を肯定してポジティブに向き合っていくという切り替えをしました。やっぱりファッションやビューティの仕事が多くて、タイヤの仕事は滅多に来ないんですよね。
 そういう仕事をするうえで、「女ならグッときます」という説得の仕方は禁止にしています。意味がわからないし、そう言われたらクライアントも何も言えないじゃないですか。なるべく言語で説明をして、性差で仕事をしないことを心がけています。広告の言葉はすべて、理屈でしかつくっていないので。理屈を性差で手放さず、でも理屈だけでは近寄れないターゲットの人たちへの近づき方ができるといいなと思っています。

アイデアの生まれ方

―書かれたコピーや小説を拝読すると、共感性がすごいなと感じます。グッとひき込まれる。

2019年 春のLUMINEシーズンヴィジュアル
写真家蜷川実花とタッグを組み、10年以上続く仕事

 よく「エモい広告」と言われるんですけど、私自身はあまりエモくないんですよ。必死に人の心を掴もうとしたら結果エモかった、という感じですね。強いバーンとしたコピーをつくると思われがちですが、実はそうでもないもののほうが多いんです。例えばルミネの「運命を狂わすほどの恋を、女は忘れられる。」というコピーも、どちらかというと忘れられない人に向けて書いています。もちろん「そうそう!」という人は多いでしょうけど、忘れられずに強がって言っている人もいるはずなんですよ。

―その時点でエモいです。

 企業のアプローチがエモいからじゃないかなあ。ルミネの場合どういう女性に向けて書くかという時に、自信満々で完成されたような人に広告はいらないですよね。服の力で今より少し自信を持ちたいというような人だとしたら、揺らいでいることもあるだろうと。
 今、インスタ映えが話題じゃないですか。「素敵な人が勝ち」という中で、今年のルミネの夏のコピーは「こぼれなかった涙も心の中で乾いていく」です。見に映るものがすべてなわけじゃない、と。こんな湿ったコピーを夏に出すのはあまりないと思うんですけど、そんな弾けたモードにみんながなれるわけじゃないし、自信を自家発電できない人にファッション広告にできることがある気がする。
 私に対してもイケイケな?イメージを持っている方が多いんですけど、実はそんなことないんですよ。いつもうじうじ考えています。

―アイデアはどうやって生まれるんでしょう。

 コツコツ書くのみですね。降りてきた!なんていうことは一度もないです。今は「何を考えるべきか」が設定できるので、プロとして最低限届くコピーをつくることはできます。とはいえ、どこを目指すかわかっても、そこにたどり着くのは簡単ではないので、結局苦しいんですけどね。
 この間「映画ドラえもん」のポスターを手掛けましたが、狙うのは「もう一度、大人も映画館で見たいと思ってほしい」というフワッとしたもの。どんなクリエイティブがいいかという道筋は作れるのだけど、言葉のアプローチはたくさんあるので、「この辺どうですか」とこちらも自信がないんですよ。それが意外とバズったので、わからないものだなあと。