2010 50th ACC CM FESTAVAL 各審査員のコメント

テレビCM部門【審査委員長】

佐々木 宏

佐々木 宏「梅の花」が一等賞になりました。素晴らしかったのは、授賞式での梅野社長のご挨拶でした。「この企画を見たときに、私はいかんと思ったし、・・・・(途中省略)・・で、なるべく早くオンエアをやめてもらおうと思ったら、グランプリいただきました。・・・」 会場は爆笑の嵐でした。制作者とクライアントとの関係が、こんなのんびりおっとりした関係だったら、日本のCMももっと楽しくなるだろうと。ネガティブチェックの嵐につぶされていったアイデアたち、たくさんあっただろうなと。最近の話題作かっぱ寿司の宇宙人CMを見ながら、そう思いました。

 ACCのテレビの審査は、3日間開かれます。1日目は、予選。膨大な数の応募作品を3チームに分かれてファイナリスト以上の作品選びをします。2日目は、まず、ベスト50のブロンズ以上を決めて、さらに投票と議論を重ねて、シルバー以上の20を選出して行きます。ここまで勝ち残るのが、いかに大変か、リストを見ただけではちょっとピンとこないと思われますが、他の広告賞ではグランプリを受賞していたり、超話題作のあのCMや、上質なシリーズなどがこの段階で入っていない!とか、いろいろ〔汗〕個人的には世の中の一般的評価との距離が気にならなくもないわけです。

 そして最終日。ここから、ベストテンと、11位以下の10本の仕分けが行われます。特別審査委員4名が加わって、気持ちも新たに、20本を審査します。企画会社では、タグボート、ワンスカイ、シンガタ、ナカハタの4社が20作品中14作品を占めています。個人名で言うと、タグボートの多田さんが、5本。ワンスカイの福里さんが、4本。電通の澤本嘉光さんが、3本。と際立っていますね。ベストテンに選ばれなかったシルバー10本の中には、今年の年始を華やかに湧かせた、歌舞伎役者大集合のMacカフェや、ビートルズ風イケメン4人がロンドン闊歩する資生堂UNOフォグバー、 4色ボールペンの入れ替えタイプの特徴を楽しく表現したパイロットCOLETO 。さらに、ビール広告の多くがプロモーション系に流れる中で、黒ラベルで、大人エレベーター、オフの贅沢で不思議な贅沢料亭の空間を創り、上質な世界観でシリーズCMを展開し、サッポロビールが2本をシルバーに入賞させています。

 そして、いよいよ、ゴールド10本。2010年度のベストテンです。さ、ここからが、いちばん面白いのですが、時間、というか、字数の関係で、待ったがかかりました。ここから先は、ぜひ、WEBへ、お越しください。ベストテンの解説と、このロングバージョンが楽しめ?ます。
以上、審査委員長 佐々木 宏 でした。

※会報誌掲載のコメントはここまで!続きはこちらから

テレビCM部門【審査員】

小田桐昭

小田桐昭昨年、このページで「ガンバレ、“その他大勢”」と書いた。日本のCMの、薄い上澄みが、数人の制作者たちによって占められている状態は不健康だ。
今年は、審査員の気持ちの中に「もっと多様性を」という共通の思いがあったような気がする。しかし、息切れしてもよさそうな「BOSS」や「ソフトバンク」のシリーズを、やっぱりなかなか追い抜けないでいる。ベスト・テンに入ってきたのは、相変わらず「シンガタ」と「タグボート」、それに、あのナカハタさんだ。「その他大勢」が割って入ってきたようには思えない。グランプリが、見たこともない「梅の花」に決まったのは、なんとしてでも、この状態に風穴を開けたいという、審査員の叫びの結果でもある。もっと口惜しがれ。「その他大勢」。

堀井博次

堀井博次「梅の花」はおもしろさではダントツだった。 今回のグランプリ受賞は若い人たちの励みになるだろう。
いっぽう、最近いちばんヒットした「アデランス」が2位に終わったのは惜しい気もする。大衆の素朴な好奇心を見事につかまえた、広告表現の新しい“鉱脈”の発見だった。
「ソフトバンク」(犬)の持続力には、今年も感心させられた。毎回、人情の機微をうまくとらえているし、ウソっぽさがない。たぶん、人間観察の鋭い人がつくっているのだろう。
人の心に響く広告はチョットした日常の人間観察から生まれるだろうと思う。

宮崎晋

宮崎晋審査会を振り返ると、「梅の花」が疾風のようにグランプリを奪い去っていったという印象です。
私は、このおもしろさのポイントは、秀逸な着地にあると思います。 安い居酒屋と、高級割烹の「ちょうど間」といういい加減さ、気の抜けたゆるさ。創作でストーリーをおもしろくするのではなく、商品に向き合っておもしろさを引き出している。「商品から逃げず、理屈でつくらず」という広告の本領を今年のグランプリ作品に見たような気がしました。

坂田耕

坂田耕生物の業界では絶滅の危惧からも、その多様性が問われている。CMの業界でもそのあたりの問題意識から「梅の花」がグランプリを受賞したように思える。これだけ少し仲間はずれなのだ。メダル受賞のCM群は小生のボケもあり、ほとんどが同じようにしか見えない。日本には「役者」がいない(と思う)実情もわかるが、今年も有名タレント、アイドル、モノが席巻している。しかも体力のある大手有名ブランドほど複数起用だ。でもこれが日本のCMの、ある種、成熟した結果なのかもしれない。ボクは烏龍茶と黒烏龍茶がいいと思います。なぜリストにないのかな。

秋山晶

秋山晶ACCの審査員をつとめたのは、ことしがはじめてです。そう言ってもADC、TCCで審査した作品とほぼ同じ作品がエントリーしていました。しかし、賞は他で選ばれた賞と少し違う結果になっています。ADCがデザイン、あるいはアートディレクション。TCCが企画、あるいはコピーがポイントになっていますが、ACCは純粋にCMらしさで選ばれるような気がしました。それだけにグランプリ作品の「梅の花」などは、見なければ良さが伝わらない。ほかのメディア(印刷物など)では、紹介するのがとてもむずかしいと思いました。 

葛西薫

葛西薫応募されたほとんどが、いわゆるCM的手法というか、狭い範囲に収まっているように思いました。短い秒数にこれでもかと繰り出すギャグ、めまぐるしい画面展開に正直疲れました。そんな中でBOSS「大人の流儀」、サッポロ「オフの贅沢」に流れている時間の豊かさ、配役とその台詞、演技の妙にはとても心が休まりました。応募作を一望して、「梅の花」がグランプリとなったのは必然ではないかと思います。実際なんど見てもつかまってしまいました。しかしもっともっと遠くからやってきたような別世界が見たい、作りたいと思いました。

岡康道

岡康道審査はメッセージであるとすると、今年僕たちは重要な「言葉」を広告の世界に発したのかもしれない。「見飽きた」という言葉だ。タレントを使いおもしろい設定でキャッチーな一言を、という80年ころからの「広告の常識」。それらに対して異議を唱えることは難しい。
常識的広告こそ消費者に受けるのだから。しかし、それは本当の賞賛だったのか?という疑問があった。今年のACCを機に、僕たちは、もう一度広告という仕事について考えをめぐらせる時期にきているのではないだろうか。

多田琢

多田琢今年は撮影と重なり最終審査に出ることができなかった。尊敬すべき先輩、後輩は今のCMをどのように評価しているのか? それについての本音を聞く機会を逃しことが残念で仕方がない。

澤本嘉光

澤本嘉光もう少し多種多様のものが賞に残ると、後に年鑑を参考にして学ぶ時にもいいかなと思ったのですが、それも含めて今年という年のCMだったのかなと。各CMを得点評価して その得点を基準に審査できると、バランスとかが頭をよぎらなくていいなと思うのです が。特別審査員の方の意見は目が覚めるようなものも多くとても参考になりましたし、審査すると学ぶことが多いです。

中治信博

中治信博グランプリは「アデランス」でも「ボス」の連続受賞でもよかったと思いますが、「梅の花」をグランプリに選んだことによって、何をすぐれたCMとするか?という基準はわからなくなってしまったと思います。あ、もちろんいい意味で。いろいろ構築されてきたこれまでの基準が原点に戻ったというか。単純になったというか。こういうのを選ぶ軽い日本CM界、悪くないぞと僕は思いました。

児島令子

児島令子最終日こんな議論がありました。そもそもACCはどういうポリシーで賞を決めるのか? お茶の間視点で審査するのか、作り手が自分たちの未来のために審査するのか。これって審査というものを1年を振り返り評価する行為ととらえるか、あしたに向けてのメッセージ行為ととらえるかって問題ですね。私は後者だと思って審査しました。自分の業界がこうあって欲しいの気持ちで。誰かを誉める1票でなく、自分に返ってくる1票として。来年はもっとざわざわするといいな。

白土謙二

白土謙二CM業界の中での「作品」の出来栄えを争うのであれば、
・完成度が高いか。
・コピーが効果的か。
・共感性が高いか。
・売れそうか。
・映像がきれいか。
・キャスティングがいいか。
といった内向きのモノサシで良いだろう。しかし、NHKと比べ、番組の質の低下が心配される民放の現状や、ネットやゲームといった新しいライバルとの異種格闘技の視点も考慮して、見直してみる時、
・他のジャンルに負けないパワーがあるか。
・他のジャンルとは違うアイデアや視点があるか。
・他のジャンルではマネのできないメジャー感があるか。
という外向きのモノサシでも同時に評価できたCM群が、結果的に上位に選ばれたと感じた。

箭内道彦

箭内道彦バラバラな審査員たち(だから素晴らしい!)のバラバラな思いの集積が新しいグランプリを誕生させた。それはACCの扉が当然すべてのCMに開かれていることの象徴と確認でもある。そして日本中の広告主と制作者はもう誰も言い訳ができなくなった。所用で欠席せざるを得なかった審査最終日、その決定の瞬間に立ち会えなかったことがとても残念です。

黒須美彦

黒須美彦改めてゴールドやシルバーのものを見返してみると、うまいことできてるものが多いですね、ほんとに。ある種の既視感だったり、王道のスタイルだったり、そういうものも含めての安定感なんでしょうかね。その点「梅の花」は、なんなんでしょう、はみ出しもんですよね。企画的にも、はみ出た感じが気を引きました。すごく。お店のマーケティングコンセプトがそのまんま、やらしい大人のムード歌謡になっているなんて、うーむ、すごすぎる。あーおもしろかった。この先、まだ、企画をしていこうという、意欲がわいてきて、嬉しかったです。

福里真一

福里真一ACCという賞は、禅問答(?)みたいなところがありまして、「ACCって、こうなんでしょ」と人々に思わせておいて、突然、全然違う答えをだしてみたり、そうやって、常に広告業界にゆさぶりをかけ続ける、というのがくせみたいになっているんですね。たぶん、審査員にへそまがりな人がそろってるからだと思いますが。まあ、CMってなんでもありなんだ!と、前向きにとらえていただけば、いいのではないでしょうか。受賞したみなさん、おめでとうございます。

古川裕也

古川裕也ソフトバンク、BOSSのようなヒット・シリーズを改めて見てそのレベルを確認してグランプリにする。というのが、ドメスティックな賞である限りACCのふつうのカタチだけれど、もうひとつ、審査で初めて見て傑作を発見するということがありうる。そのCMは、ここで発見されなければ、ほとんど誰にも知られぬままなかったことになってしまう危険を孕んでいたわけで、それもまた、審査の重要な機能だと思う。オンエア量や知名度から独立した基準で優れて新しいものを発見してこそ実は審査の意味がある。なのでよかったんじゃないでしょうか。

森本千絵

森本千絵やっぱり、おおいに笑えたり、ぐさっと感動できたり、ひっかかるものが残ります。今年は、歌や踊りものが多かった。多くのことを語らないものばかり。みんな疲れてるのかな。伝えたいことがはっきりしていて、それをダイレクトに届けています。すぐに知りたいことが知れる時代なだけに、心に届ける速度も早まったのでしょうか? それはそれで、ちょうどいいですし、役割も果たしていていいのですが、私は、もう少し無駄ななにかもあってもいいのかなぁとも思ってしまいました。感情を持っていてほしいのです。CMにも。審査会は、人間味溢れすぎる渋い大人子供たちが、感じるがままに発言していて、その姿に感銘うけました。きっと、まだまだ可能性はありそうです。

谷山雅計

谷山雅計すみません、佐々木審査委員長が贈賞式で言っていた「梅の花グランプリにいちばん反対した審査員」は僕です。もちろんメチャクチャおもしろいCMであると認めております。ただグランプリというのは、数年後にふり返って「2010年は○○の年だったなァ」と記憶される存在であってほしいという気持ちが強くあり、「梅の花の年だったなァ」と素直に思えるかという部分でグジグジ迷っていたのですが。しかし審査会を終えて1ヶ月もすると、だんだん「今年は梅の花の年以外はありえないんじゃないか」とも思えてきて…そこらへんが、このグランプリのやっかいな魅力なのでしょうね。

中島信也

中島信也人気者は人気者。つまらないものよりおもしろいもののほうが強い。強いものが勝つ。確かにそのとおりである。もっともである。でも、そうやって強いもの、勝ち続けるものが君臨するとき、なんだか元気が出なくなっちゃうな、って感じるのはぼくだけだろうか。もしぼくたちがここで、これまでのものさしとはちょっと違う「新しい価値」を見つけて提示することができたら、なんだかわくわくして、元気がでてくる気がするな、って感じるのもぼくだけかな。そういうことがやっぱり今年もできなかったことに、ぼくの無力を感じています。

テレビCM部門【特別審査員】

茂木健一郎

茂木健一郎すべての表現と同じように、CMは勇気の間合いである。それが、何百万という視聴者にさらされる点において、間合いの精度が厳しくなる。先走り過ぎてもいけない。しかし、跳躍するのでなければ、おもしろくない。国全体に元気がない今、CMの間合いはますます注目される。ネットばかりが注目されるが、地上波テレビもまた一つの「文脈」である。CMが棲息する生態学上のニッチに、どのような花を咲かせるのか。クリエイターたちの必死の努力の精華を見ていると、生きているっていいな、と改めて思った。

天野祐吉

天野祐吉低俗というのは、別に悪いことじゃない。
低俗の反対語は高尚だろうが、低俗を高尚より下に見るのは偏見であって、重厚と軽薄に上下がないように、低俗と高尚は上下ではなく横並びの関係にある。低俗にも優れた低俗と下らない低俗があり、高尚にも優れた高尚と下らない高尚があるのだ。
グランプリをとったCMは、すぐれて低俗である。ちゃんと低俗表現になっているところがいい。その名声は、あっというまに消えてしまうものかも知れないが、もともとCMは後世に残ることを目指しているものではない。時代の花火みたいなものだから、それでいいのだ。

佐藤可士和

佐藤可士和昨年同様、特別審査員ということで最終日から審査に参加させていただいた。上位作品を見させていただき最初に気になったのは、どの作品も「似ている」ということだった。ひとつずつを見ればもちろん違うCMなのだが、作品から醸し出される全体的な雰囲気やオーラが非常に均質化し、そこには日本のCM界の中で良しとされる独特のトーン&マナーがあるように思えた。どれも完成度は高いのだが、もっと違う視点や切り口、メソッドのものが見たかった。

齋藤孝

齋藤孝CMは日本人の常識センスのプールだと思っています。何に笑うかには、常識と知性が表れます。今回、知的ユーモアにあふれたCM諸作品が賞を獲得したのは、私としても喜びです。広い意味での教育効果のある完成度の高い作品が目立ちました。ワコールの「浮いている。これはイカンということで」というフレーズが最高。アデランスが、Q&A形式で家庭に話題を提供したのは、「世の中を明るくした」功績があります。梅の花は絶妙な安っぽい感じが爆笑。忘れられない。ソフトバンク「母に会いに」は、日本的情緒にあふれ、何かに触れた感覚がありました。