各審査員のコメント

ラジオCM部門【審査委員長】

小田桐 昭

小田桐 昭 詳しい審査経過は、「ACC年鑑」に委ねるとして、2011年のラジオCMの審査は、ひと言でいうと「混とん」の中にあったと思います。
 震災支援のCM、今年に限ったコミュニティFM局のCM、番組とCMの境界を超え、ネットや他のメディアとの乗り入れなど、新しいラジオの力を模索した企画CM、そして通常のラジオCMと、ひとつの基準ではくくれない難しさです。しかし、それがまたラジオのさまざまな可能性を示してくれていたようにも思います。それは3本のグランプリ候補の作品に良く表われています。

 「資生堂」の「歌よ届け」は、コミュニティFM局に、震災後すぐに「こころ」と「からだ」のケアのために提供したコンテンツのうちのひとつです。多くの広告主が「自粛」の名のもとに、メディアから一斉に身を引いたことを思えば、資生堂が少しでも早く、広告主としての役割を被災地に対して果たそうとしたことに対する評価でもありました。
 「兼子」は再生紙メーカーで、おそらく知名度もあまりないブランドだと思います。しかし、20秒という最小の定型で、並みいるビッグ・ブランドたちの作品を退けた切れの良さは小気味の良いものでした。アイデアの力強さを証明してみせました。
 もう1本は、グランプリになった「プラチナリング」です。
 50周年のホリプロと40周年のTOKYO FMとの特別企画の連続ドラマに挿入された企画CMです。ホリプロの豪華タレントを並べ、インターネットを駆使しながら話題を広げ、今までのラジオの枠を広げました。しかし、審査員の心をとらえたのは、やさしい音の上に、やわらかな人間の声をそっと乗せた、その精緻なサウンドクラフトでした。見えないからこそ深く広がるイメージ、見えないからこそ伝わる抽象性。音というものの、テレビには描ききれない力強さを示してくれました。

 一昨年から、ラジオの審査は「ラジオのためなら何でもする」をスローガンに、テレビから独立してやって来ました。コミュニティFMの参加もそのひとつです。作品の審査もさることながら、私たちは「ラジオの未来」について話し合って来ました。審査員ひとりひとりの思いは果たせたと思います。

ラジオCM部門【審査員】

林屋 創一

林屋 創一発表会でラジオとテレビを視聴した時、今年のラジオは頑張ったと思った。ラジオの役割が再認識されたこと。とりわけ、被災地で放送されたコミュニティーFM局のCMを記録できたことは大きな意味があった。生活情報だけではなくコンテンツとして制作された資生堂の発想は、ラジオができること、やらなければならないことを教えてくれた。ラジオのチカラを信じたクリエイティブが増え、“常連ではない”クリエイターの活躍も嬉しい。発表会でラジオの笑いが多かったのは、時代に柔軟なメディアであることを示している。 ラジオを必要としている人たちに向き合ってCMを作る。これにつきますね。

福本 ゆみ

福本 ゆみ小田桐審査委員長のもと、新しいラジオのチカラを探して2年目。今年は、コミュニティFM局の応募が可能になり、エントリーされた作品の幅が広がった。震災時にラジオというメディアが、情報と情緒の両面で大きな役割を果たしたことを、広告賞という形ではあっても、記録に残すことができてよかったと思う。企画CMの応募も格段に増えた。ケータイやパソコンとも相性のいいラジオは、これからもっと面白い使い方ができると思う。話題になるラジオ、より深く届くラジオを、目指したい。

中山 佐知子

中山 佐知子今年の締め切りが延びた理由として、3月11日の震災後しばらくCMが自粛になったのと同時に、震災後に出て来るCMへの期待があったと思います。中越地震のときも今回もラジオが役に立つと言われラジオの力が取り沙汰されました。しかし実際にそこにいなければ、ラジオがどんな風に役に立ったかという具体的なイメージを思い浮かべるのはむづかしいものがあります。電池で、ときには手巻き方式で可動するのですから唯一の情報源になるのはわかっているのですけれど、そこでどんな情報が流れているのかがなかなか想像できないのです。その意味で新潟コミュニティFM10局が共同制作した「震災復興キャンペーン」はたいへん素晴らしく、ことに実際の震災直後の放送を再現した「長岡A」編は、私たちに一大事が起こったときのラジオをシミュレーションさせてくれました。

井田 万樹子

井田 万樹子被災者支援CMとしてラジオ媒体を選んだ資生堂に、見識の深さを感じた。目線の低さや声に人柄が現れるラジオは、最も被災者の心に寄り添える媒体であったと思う。また、災害時だけでなく未来につながるラジオの可能性をみつけることも審査での大きな課題だった。ラジオの未来とはすなわち若い広告制作者の参入であるべきで、原稿用紙一枚で作れる表現の強さを重視すべき。いやいや、そんなことをしていてはラジオは狭い世界だけの時代遅れのものになる。メディア価値を高める変化を仕掛けているCMを選ぶべき。意見は2方向。真の意味でラジオの発展を考えるのであれば、番組と一緒に発展し、広告主に仕掛けていくしかないのでは、と個人的には思う。ちなみにコミュニティFMが意外と作ろうと思えば作れること審査で知った。私も近所の噂話を放送してみたいものだ。

山田 美保子

山田 美保子東日本大震災以降、ラジオからしか得られない情報や、聞こえる音楽、アナウンサーやパーソナリティーの方の言葉などが人々にとって必要であることが再認識されました。とはいえ、「ラジオの現実」が厳しいことは震災前も震災後もそうは変わっていないように思います。ですが、この1年で新たにラジオのファンになってくださったかたは大勢いらっしゃると信じています。ラジオでなければ伝わらないこと、届かないこと、そしてラジオCMにしかやれないことはまだまだたくさんあるハズです。これは部外者からのお願いなのですが、ラジオCMをつくる方も評価なさる方も、もっとラジオを聴き、愛していただきたいなと思っています。受賞者の皆様のみならず、応募してくださった皆様全員に「ありがとうございました」と言いたいです。

中村 聖子

中村 聖子今年も「ラジオの可能性」について議論されました。被災地のために立ちあがったコミュニティFMや応援CMなど、緊急時にこそ役に立つラジオ。過酷な状況の中で、ラジオの声に救われた人は多かったことでしょう。そのようなエントリーに順位をつけるのは、正直、悩ましかった。CMと番組の境界線も微妙です。ただ、ラジオの価値を改めて実感できたし、ラジオでしか表現できないことがまだまだありそうな予感がしました。そしてラジオがクリエーターにとっての自由な表現の場でありつづけることを願います。余裕のない時代だから、なかなか難しいかもしれないけれど、クライアントの熱意とクリエイティブの力がラジオにも惜しみなく注がれつづける限り、ラジオに未来はある。グランプリのプラチナリングを聴いて、そう思いました。

岡部 将彦

岡部 将彦音に集中するために、静かに目を閉じ、耳を澄ます。
すると、どこからともなく近づいてくる睡魔…。
ウソです。ウソとも言い切れませんが。
何が言いたいかと言うと、審査員全員、真剣に聴いているのですが、
実はオンエア時の「ながら聴き」とそれほど状況は変わらないんじゃないかと。
「続きが聴きたい」とリスナーのテンションを前のめりにさせる工夫と
ホスピタリティがないCMは、オンエアでも、審査会でも、やっぱりすり抜けてしまう気がします。
とくにラジオCMには「賞狙い」という言葉がありますが、
あながち効果を最大化する姿勢として間違ってないんじゃないか。
むしろいろいろとラジオの形が変わっていくなかで、「ホスピタリティ」こそ重要になるんじゃないか、と今さらながらに思った2年目の審査でした。

福島 和人

福島 和人震災時にコミュニティFMが果たしていた働きに驚いた。震災時に広告の果たせる役割について考え直した。テレビCMと違い、ラジオCMは審査会場で初めて聴くものばかりだ。『世の中でメジャーだった、流行していた』といったことが審査に影響しにくい。ラジオの前の人がどんな風に聴いたかを想像して審査する。SNSが『顔の見えるコミュニケーション』だとしたら、ラジオは『顔を想像するコミュニケーション』かもしれない。ラジオをPCで聴く人やスマートフォンで聴く人も増えている。『古いメディア』ではなく、『最先端のメディア』リスナーをしっかり見つめれば、きっと突破口はあると思えた。

直川 隆久

直川 隆久「ラジオCMに何ができるか」を超えて「ラジオに何ができるか」という問いについて考えざるを得ない審査会だった。去年にも増して。スポンサーたる“発信者”(あえてクライアントとはいわない)とリスナー。この二つをつなぐやり方を考える際に、番組かCMかという壁の存在理由とは?震災という非常時がそういった壁を局地的にであれ無効化させ、その先例ができたことは、ラジオにとってよかったのだと、僕は思う。とはいえ、壁がこわれた結果、ラジオ全体がなだれを打って通販番組みたいになってしまっては最低だ。発信者が「何を」発信するか、それがラジオを生かしも殺しもするのだと思う。

橋本 祐子

橋本 祐子CMって何だ。それをあらためて考えさせられた2011年。3月以降あふれ出すACの嵐に、番組あってのCM、CMあっての番組、という当たり前の事実を突きつけられた。民放ラジオの力はリスナーが耳にするすべての素材で形作られている。CM制作者にはきちんと番組を聞いてほしい。番組制作者には温かくCMを包み込んでほしい。これからもずっと手を取り合って同じ歩幅で歩んでゆく、かけがえのないパートナーなのだから・・・。

山本 高史

山本 高史ラジオCMのコピーやアイディアが審査されているのか、番組のあり方が模索されているのか、はたまたラジオの存在自体が問われているのか、評価の尺度が(少なくともぼくには)釈然としない審査だった。ラジオが悩む現状の逆境の中で複数の価値判断が混在してあたりまえだとしても、混在はしょせん混乱である。とか何とか言って、その出口が見つけられなかったと、審査した自らの不甲斐なさを告白しているのですな。