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小池: でも、いま考えると、このプロジェクトの「見なれぬ景色へ」というキャッチフレーズは、我ながら興味深いです。19年の暮れに、中村さんとアートディレクターの佐藤直樹さんにキャッチフレーズを書いてほしいと言われて、町を舞台にしたアートというものは、私たちが日頃見ている都会とは異なる風景を出現させることだと思って書いたものなんですけど、自然の側からそれがやってきたことに驚きもあって。
海外の人たちに対しては、「ソーシャルダイブ」というメッセージを出したんですよね。社会に潜りこんで行うアートという主題を投げかけたら大変な反響がありました。
コロナで海外のアーティストが来日できない状況があるので、そこは厳しいんですけど、アートやデザインを通じて社会にどれくらい深く入りこめるか、小さなものでもいいからとにかくイベントをやり切る、乗り切るということをしたいと思っています。つくる個人を主体にした市民の祭典にしたいですね。

箭内: コロナの時代のアートについてどう思われますか。例えば、ドイツの文化大臣は人間の生命維持にアートは必要不可欠なものだと言っている一方で、日本にはアートなんて不要不急の存在と言われてしまいかねない空気もある。いまこそアートってとっても大事なものだし、機能すべきだと思うんですけど、小池さんがそのあたり、どう考えてらっしゃるのかなと。

小池: そうですね。人間による自然発生的な表現の極まったものがアートだと考えると、アートというものは、たとえ天変地異が起ころうと必然的に生まれてくるものであって、それは人間というものがアートを必要としているからだと思うんです。決して不要不急の存在なんかじゃなくてね。
とはいえ、私自身はアーティストじゃないということが自分の立場としてありますから。アーティストにどこまで寄り添えるか、アーティストを顕在化するために何ができるかーーというスタンスではあるんです。
そういうことを一番強く考えたのが、1980年頃で。永代橋のそばにあった食糧ビルという1927年建設のビルを改修して、そこで国内外たくさんのアーティストに個展を開催していただくということを17年間やってきたんですけど。

箭内: 佐賀町エキジビット・スペースですね。そこで質問してみたかったのが、小池さんの中で広告とはなんなのかということなんです。あるいはいまの広告をどう見てらっしゃるのか。アートと地続きなのか向こう岸なのか、もしくは可哀想な場所なのか。それは非常に興味があるところです。最初はコピーライターとしてデビューされたわけですよね?

小池: それは私が仕事を始めた頃の社会と時代の環境がありまして。私、堀内誠一さんや江島任さんのようなアートディレクターのところで働き始めたものだから、視覚言語、ビジュアルランゲージにすごく興味がありました。それで初期の久保宣(久保田宣伝研究所※現・宣伝会議)に夜学で通ったりして、コピーライターになったんです。
でも、コピーライティングなんて言葉が全然ない時代ですから、独学みたいなものですね。どれだけ速く書けるか自分でトレーニングしようと思って、交通公社のカタログの仕事をもらって、ひと晩に何十本も旅館のコピーを、同じ言葉を使わずに書いたりして、手応えは感じてたんですけど。

だけど、自分はコピーライターには向いてないなって思った。私の悪い癖で、どうしても書くテーマである商品の背景から考えてしまう。だから社会批判にもなるし、企業批判にもなる。そういう神経の持ち主は広告界にいちゃいけないんじゃないかなって自分で思って、広告の仕事にはあまり積極的に入らないようにしていたくらいで。

箭内: でも、広告のコピーの名作もたくさん書いてらっしゃいますよね。例えば立ち上げ時のパルコとか無印良品とか。

小池: パルコの仕事は刺激的でしたし、無印良品は私にぴったりの仕事でしたね。商品の成り立ちの元のところから参画できましたから。田中一光さんとすごくウマがあってリードしてくださった。無印良品は西友のプライベートブランドとして出発したわけですけど、西友のマーチャンダイザーの方々が素晴らしい人たちで、ワクワクしながらいつも勉強させてもらって。
よくお話しているエピソードなんですけど、無印のオフィスがある池袋から青山の互いの事務所に帰るタクシーの中で、一光さんがおっしゃったんですよ。「小池さん、"無 印 良 品"の4文字のあいだの3カ所の空きスペースに、ブランドの3つの基本姿勢〈素材の選択〉〈工程の点検〉〈包装の簡略化〉をコピーで説明したらどうだろう?」って。その3つの基本姿勢は、私がその時代に必要なことだと感じていたことだから、これだったらものづくりと書くことが一致できると思って、すごくうれしかったんです。だから、いまも続けられてるんじゃないかと思います。
無印良品の広告づくりは、一光さんが亡くなったときに引こうと思ったので、コピーライティングそのものはしていませんけど、「くらしの良品研究所」というところで、いまもいろんなプロジェクトに関わらせてもらってます。

箭内: 無印良品とアートをつなぐプロジェクトだと、菊地敦己さんとお仕事されたり、ああいうのはとってもいいなと思いながら拝見してましたけど。