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第5回「クリエイターズ殿堂」

伊藤(いとう)アキラ氏

伊藤(いとう)アキラ氏

<選考理由>

「CMソングの作詞家」という肩書で活躍し、世の中からもそのように認められた作詞家は、きっと伊藤アキラ氏だけだと思う。そしていつもCMソングの先頭にいた。作詞家というよりコピーライターと呼ぶべきかもしれない。いつもジャーナリスティックな目で時代と商品を明るく歌い上げた。日本のCM向上にとって重要な働きをしてきた人である。

<プロフィール>

1940(昭和15)年8月12日、千葉県生まれ。東京教育大学文学部在学中から三木鶏郎事務所に入る。ACC賞銀賞の丸善石油(現コスモ石油)の「オー・モーレツ!」をはじめ、日立製作所「この木なんの木(日立の樹)」、新興産業「パッ!とさいでりあ」、日本香堂「幸せの雲(青雲のうた)」、カシオ計算機「答え一発!カシオミニ」など、CMソング、歌謡曲、アニメソングを多数手掛け、その作品数は1,000曲を優に超え、ご本人の名前は知らなくとも、「聴けば誰でも知っている曲」を数多く残している。75歳。

故・椙山三太(すぎやま さんた)氏

故・椙山三太(すぎやま さんた)氏

<選考理由>

話題作を数多く作りながら、本人の名前が有名CMの陰に隠れてしまう不思議なディレクターである。実験作のパイロット「ハッパふみふみ」も、日本初のカンヌ・グランプリのサントリーホワイト「サミー・デイビス・ジュニア」や若者の間で大流行したホンダ「CITY」にしてもそれぞれ世の中を騒がせている。しかし、「椙山三太らしさ」ってなんだろう、と思うと分からなくなる。作家としての個性よりも、作風から自由であると言う事の方が氏にとっては大切なことなのかもしれない。「CMの表現の枠が広がった」と思わせる所に、椙山三太氏はいつもいたような気がする。

<プロフィール>

1939(昭和14)年生まれ。東京都出身。学習院大学理学部化学科卒。日本化薬(株)入社。その後日本天然色映画へ転身。同社、CMランドでCMディレクターとして第一線で活躍。1966(昭和41)年、日産自動車「ダットサン・フェアーレディー/空と陸」でACC賞銀賞受賞。以後1973(昭和48)年、上記サントリーホワイト「Get with it(サミー・デイビス・ジュニア)」で同グランプリ、1990(平成2)年JAL「企業イメージ/ジャネット・ジャクソン」でACC賞など、世間的に大きな話題となった作品を多数プランニング、演出。2011(平成23)年72歳で逝去。

故・沼上満雄(ぬまがみ みつお)氏

故・沼上満雄(ぬまがみ みつお)氏

<選考理由>

博報堂でCMプランナーらしい人と言えば、沼上満雄氏だった。広告人というよりも、氏の「人間の善意とか、優しさを信じる世界」を人々は愛した。作家らしいと言えば、沼上氏ほど作家らしいプランナーはいないかも知れない。それでいてCMを心から信じてもいた。ソニーの「タコの赤ちゃん」も、資生堂の「名球会」もCMのことばが人々を幸せにすることを疑わなかった。幸せなCMプランナーでもあった。藤井達郎氏とはまた違った、CMプランナーの系譜が沼上氏のグループから生まれた。

<プロフィール>

1936(昭和11)年10月3日埼玉県生まれ。1959(昭和34)年青山学院大学文学部卒業。1961(昭和36)年博報堂入社。1971(昭和46)年から日産自動車「ブルーバード」を担当。1972(昭和47)年、ソニー「自然シリーズ」がスタート。1973(昭和48)年同「タコの赤ちゃん」でACC賞秀作賞受賞。資生堂「ヴィンテージ」(同ACC賞)、丸美屋「釜めしシリーズ」など多数のCMを手掛けた。1990(昭和65)年第二制作局局長。1993(平成5)年、㈱博報堂フォトクリエイティブ代表取締役社長。定年退職後は「KEY-STONE」を設立。2000(平成12)年10月23日逝去。亡くなった後、氏の優れたクリエイティブ・ワークを有志の方々が「沼上満雄の世界」という本にまとめ上げた。

操上和美(くりがみ かずみ)氏

操上和美(くりがみ かずみ)氏

<選考理由>

初期の日本のCMは劇映画のスタッフによって始められた。グラフィック・スチールの撮影方法をCMに最初に持ち込んだのが操上和美氏である。映画手法からの脱却は、コミュニケーションデザインのひとつとしてのCMの念願だった。操上氏のCM進出によって、以後多くのスチールカメラマンが後を追うようにCMに参加した。日本のCM映像を飛躍的に向上させたのは操上氏の功績である。

<プロフィール>

1936(昭和11)年1月19日北海道富良野生まれ。1961(昭和36)年東京写真専門学校卒業。杉木直也氏に師事し、1965(昭和40)年フリーランスとなる。1969(昭和44)年に初めてコマーシャルフィルムを手掛け、翌1970(昭和45)年、レナウン「ジョンブル/丸太乗り」でのACC賞受賞を皮切りに、1994(平成6)年サントリー「ボス/会議でしゃべる」でACC賞郵政大臣賞を受賞するなど入賞多数。又、写真家としてADC会員最高賞他を受賞するなど、現在に至るまで写真、雑誌、広告、映像など幅広い分野で第一線として活躍。今年の4月にも写真展「SELF PORTRAIT」を開催。79歳。

故・大西清(おおにし きよし)氏

故・大西清(おおにし きよし)氏

<選考理由>

TCJにいて柳原良平氏などと組んで名作「アンクルトリス」のアニメーションを担った。当時、ディズニー・スタイルのフルアニメーションが全盛の頃にリミテッド・アニメーションを導入して、そのデザイン的な動きで人々を驚かせた。一方、桃屋の「江戸むらさき」の三木のり平のアニメーションでは伝統的な手法で、子供から大人までの人気を集めた。60年代70年代をリードしたアニメーターである。

<プロフィール>

1934(昭和9)年生まれ。石川県出身。保善高校卒業。㈱TCJにてアニメーターとして活躍。1961(昭和36)年サントリー「トリスウイスタン」でACC賞第1位、また桃屋「江戸むらさき/国定忠治の巻」で佳作。1967(昭和42)年「トリスウイスキー/ちんどん屋」で金賞を受賞。CMだけでなく「エイトマン」など多数のテレビ、映画のアニメーションも手掛け、日本のアニメーションの礎を築いた。2014(平成26)年6月逝去。


【第5回クリエイターズ殿堂 選考委員】(五十音順)

選考委員長
小田桐昭
選考委員
坂田耕、杉山恒太郎、武部守晃、宮崎晋の各氏