各審査員のコメント

審査講評&This one

テレビCM部門【審査委員長】

岡 康道

岡 康道  そもそも、CMを審査するなどということができるのでしょうか?
 目的も制作費も出稿量もまるで異なるCMを、一体比べられるのか。ずっと、私はこの点で悩んでいました。審査委員を引き受けたり、ある時はお断りしたり、判断は年ごとに乱れました。好き嫌いではなく、属する会社の利益代表ではなく、消費者の代表でもなく、あくまで「制作者として選ぶ」という行為が成立するのか。その時、制作者としての嫉妬心は克服されるのか。
 審査に「ある目的」があれば、この困難な作業も可能ではないか、と考えました。定まったテーマがあり、それに向かってCMを選考するなら。
 そこで、まずテーマを設定しました。「審査とは、メッセージである」と。
 2013年の審査委員が、何を選び、何を選ばなかったか。ACCの審査は、日本の現在のコマーシャルに対する、価値観の提案になります。10名という過去に例のない少人数のため、充分な議論を経て審査は行なわれました。全員が、意見を戦わすことが出来るギリギリの人数は、10名前後だと思います。
 審査基準は、自ずから「CMのメッセージ性」にフォーカスされることになりました。
 10名中7名が支持して、ナイキがグランプリに選ばれました。久しぶりに、ナイキがACCに帰って来てくれたように思いました。
 選手宣誓の「我々は」という主語を「って言うか、僕は」と言い換えることによって、建前の世界は本音の叫びに、一足飛びに変換されました。プロスポーツがすでに確立されている種目に限って言えば、高校の一流選手なら誰しも思っているであろう本音を、ナイキは恐れずにオンエアーしました。
 いえ、更に深遠を探れば、ナイキが発したメッセージは、資本主義世界における「商品としての本音」なのかもしれません。野球を愛する少年の本音は、初めてフライを捕れたり、初めてバットでボールの芯をとらえた時の「喜び」の近くに、まだ隠れているような気がするのです。あっ、これは個人的な感想です。
 審査委員長として、今年の作品の中で、ナイキより優れた仕事を私は発見していません。グランプリはナイキです。オリンピックに続く「黄金の7年」。そのスタートの年に選ばれたグランプリ作品が、新しい広告への「選手宣誓」になることを祈っています。

テレビCM部門【審査員】

小田桐 昭

小田桐 昭  Nikeには入れなかった。「聖域の高校野球に踏み込んだ勇気あるCM」というのが大方の評だった。しかし、僕にはそんなふうには見えなかった。もし、このCMがNikeではなく、日本の球児たちに道具を提供している日本のメーカーなら、その「勇気」や「覚悟」を認めるけれど。かつての「野茂」への支援とは違う、日本人の高校野球へのメンタリティに対する、ある種の乱暴さを感じたからだ。僕は、昨年から続いているトヨタの東北の被災地を巡るロードムービー「ReBORN」に入れた。「長い支援」を約束し、それを継続しようという強い意志に感動したから。広告が被災地に対して何ができるかということを、広告人なら誰しもが考えたことだ。しかし、世の中も、そして広告もそれを忘れようとしている。広告ができることは、「忘れさせない」ことだ。

佐々木 宏

佐々木 宏  岡康道審査委員長の笑わせながらも意外に強引な進行のせいもあり、キレのいい審査が淡々と進められたという印象です。
 審査員の顔ぶれも、全員CDというのがちょっと新鮮でした。
 私は海外ロケで初日の審査に出られず、シルバー以上の審査からの参加となり、皆さんに迷惑をかけてしまいました。ペコリ<(_ _)>

佐藤 カズー

佐藤 カズー  グランプリにはメッセージがある。ナイキにはそれがあった。高野連に押し殺された青年の心をブランドが代弁する。集団ではなく個、チームではなく自分。野球しかしてこなかった高校球児にとっての本音の甲子園がそこにはあった。猛々しい若者の大志をナイキが描いたのだ。オンエアにあたっては、恐らく数多くの困難があったと思う。クレームがあったらどうする?炎上したらどうする?どの企業もこのソーシャルの時代においてプロヴォカティブな表現は避けがち。そんな中ナイキはオンエアに踏み切った。ブラボー!ナイキ。リスクと挑戦。スポーツメーカーだけでなく、全ての広告関係者にこのメッセージを伝えたい。Just Do It.

澤本 嘉光

澤本 嘉光  良く出来ているCMが多かった。なので、結果としてまとめて見るとかなり質のいい映像リストになっている。ただ、皆が同じ方向を見て走っている感じは否めなくて、もっといろんな方向に表現が向かって欲しいし、それが出来るのがCMなんじゃないか、と思う。その点、赤城乳業の馬鹿みたいなアニメ、ディー・エヌ・エー 戦国コレクションのセンスいい変な歌、三井不動産のデザイン的アニメ、は向いている方向が明確に違って楽しめた気がする。表現の多様化、を、来年はもっと楽しめるといいなあと審査しながら考えていました。お利口になりすぎないように。自分の事を棚に上げて、ですが。

中村 猪佐武

中村 猪佐武  「審査はメッセージである。」という岡委員長の号令の元、審査をしながら自分のメッセージまで審査されているような気分でした。
 とにかく、今回の審査を通じてヒシヒシと感じたのは、上位にあがってくる作品たちが発しているメッセージの強さ。商品やサービスをベースに作り手たちが丁寧に練り上げたメッセージを、これでもかというくらいに明確に、時にはエゴイスティックに発してくる。審査の過程では、そんな強烈なメッセージを持った作品だけが評価されていくというシンプルな構図でした。
 それにしても、そうそうたる審査員の皆様が発するメッセージの破壊力も、かなりのものです。おかげで少しだけ胆力がついたような気がします。本当に貴重な機会を頂き、ありがとうございました。

永井 一史

永井 一史 ACCの審査は5年ぶりであった。だからこそ、その間の変化を強く感じた。
商品や企業の機能を伝える時代から、自分達の存在そのものの固有性や価値観を伝えるを時代に。
情報環境の変化に翻弄された時代から、CMが自信を取り戻した時代に。
15秒・30秒がスタンダードの時代から、長尺も選択肢のひとつになった時代に。
その大きな変化を感じつつ審査したのだが、ハッとし、驚き、涙ぐみ、心から拍手を送りたい作品が以前よりも沢山見つけられたことがとても嬉しかった。

古川 裕也

古川 裕也  なんとなく慣習のように毎年20人強で審査していたのだけれど、他の審査と同じように声の大きい何人かの発言占有率が83%くらいになってしまうこともあり、今思えば、ほとんど発言の機会のない人たちが確かにいた。10人はよかった。カンヌでいちばん少ないチタニウムと同じ人数で、みんなが議論に参加できるだけでなく、おだやかに上品に進んだ。その代わり、最初ブロンズにも届いていなかったCMが、話の流れや誰かのひとことをきっかけに、あれよあれよという間にゴールドまで行ってしまう。というような下剋上的ダイナミズムはなかったけれど。デニーロだと思って審査に臨んだが、NIKEは初見の人も多く、「わかりやすく常識をやっつけた」点が支持を集めた。審査の重要な役割のひとつが、まだ十分その価値を知られていない仕事の発見にあることからすれば、意味のある結果だったと思う。

宮崎 晋

宮崎  晋  今年はメダリストを決める時は皆が発言できるようにと、委員長が審査員を10人に絞ったことで、最終に近づくにつれ個々の人の意見がたくさん聞け、なる程と納得したり、また反論したりがあり、公平な審査ができたと思いました。最終審査では、今年のテーマでもあるメッセージの強いCMで、久しぶりにここにナイキあり、という圧倒的な存在感でグランプリが決まりました。タグラインや、ネット、店頭展開などについても、若い審査員から詳しい説明があり、満場一致。スポーツのシーンを出さずに、何かに向かって戦っているこのCMから、ナイキのスポーツに対する姿勢を感じました。上原選手や、野茂選手の味付けも、ユーモアがあって素敵でした。
又、今年のゴールドは、どれもがグランプリに近い評価だと思いました。

山田 高之

山田 高之  CMはパワフルだ。すべての審査を終え、濃密な緊張から解放され、改めて思ったこと。今年、賞に選ばれたCMの多くには、「声」がありました。世をざわつかせる高校球児の叫びも、お茶目な映画の神様の体験談も、飛び立つ新社会人を応援する唄も、あの偉人の生まれ変わりの会話も、大声や小声、表現の違いはありますが、どれも力強く的確な、声だ。企業の確固たる意思や挑戦、世の中への応援や警鐘。そして、その声が人の感情へ届く速度と深度は、映像表現だからこそ可能なものだと思う。
 変テコな言葉で驚く海女の少女も、倍じゃないと気が済まない行員も、今年テレビの力を証明した。長尺の受賞作が増えてきていますが、来年はテレビからもっとCMが面白くなる、そんな気がしています。